マジックフィンガーズ(2)

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すぐに帰る気がしなくて、中央通りに出た。
九州電気の看板を見上げながら、千嘉良は、さっき見た光景を思い出している。

秋葉原の建物が、ひとつ残らず光り輝いていた。
街というよりも、光のお城みたいだった。

大きかった。
でもそれ以上に、小さかった。

上野に向かって伸びる中央通り――秋葉原を囲む景色のほうが、秋葉原よりも、ずっと大きかった。

(そういうことか……)

わかってしまえば、簡単だった。


千嘉良を芸能人にするのが、母の望みだった。
子供の頃から歌とダンスのスタジオに通わされて、レッスン漬けの毎日。

でもそれも、中学三年の冬までだった。
母親が取り寄せた宝塚音楽学校の入学願書を、祖父が見つけて猛反対して、それで終わり。

格闘技の道場に通い始めたのは、それまでレッスンに通っていた時間がぽっかり空いて、暇になってしまったからだ。

試合に出たりしないことを条件に、母は道場通いを許可した。

伊達メガネを着け始めたのも、その頃からだ。
母の勧めだった。
多分、芸能人っぽく見えるからだろうと、千嘉良は思っている。

ある時、師匠(女子格闘技界無敵のチャンピオン)に言われた。

『あのさ、千嘉良ちゃん――』


『あのさ、千嘉良ちゃん――格闘技の世界なんて、全然小さいんだよ?
こんな狭い世界に何もかもがあるわけじゃないんだから……
だから、ここで何もかもを手に入れようとして、頑張る必要はないんだよ?
ここに無いものは、こことは別の場所で手に入れればいいんだよ?』

その言葉を、千嘉良はこう解釈している。
要するに――

(気負うなってことか)

ちょっと気が楽になったら、胸が痛んだ。
千嘉良は、茜に嘘を吐いていた。


『問題になったのは製品じゃなかった』

さっき、千嘉良はそう言った――でも、嘘だった。

”パッとしないまま終わる、典型的な日本製ITプロダクト”

それが、千嘉良の父親が、叔父の会社の製品に対して下した評価だった。
当然、その中にはマジックフィンガーズも入っていたのだろう。

(遅くても……1月の半ばってところ?)

もう一回、自分はマジックフィンガーズのデモを見ることになるはずだ。
そして、父親の会社から送り込まれる形で貞夫の会社に入ることになる。

祖父が千嘉良に命じたのは、こんなミッションだった。

「千嘉良……おまえに貞夫の会社をあげるから、ほどほどに勉強したところで潰しておしまいなさい。その後は、自分の会社を作ればよろしい。貞夫の会社で使えるモノがあったら、そのまま引っ張っていきなさい……貞夫は、私のところで鍛え直します!」

あの時、祖父が苦々しげな表情をしていた理由を、今夜、ようやく千嘉良は理解できた。

(貞夫さんが、自分好みの男の子を集めて会社を作ったとは聞いてたけど――ここまでとは)


いま千嘉良は、横断歩道を渡ろうとしている。
正確には、そんな状態で、ずっと立ち止まっていた。

(自分が、茜君の会社を実質的に経営する立場になる)
それはつまり、
(マジックフィンガーズが、自分のモノになる)
ということだ。

そして、そんな形で乗り込んできた自分を、
(茜君は、どう思うだろう?)
良くは思われないに、違いなかった。

もしかしたら、自分がどういう役割の人間なのか、
(茜君も、既に知ってるかもね)
言い訳代わりの話題に叔父がそれを持ち出すことは、十分に考えられた。

だけど、わくわくする。
(マジックフィンガーズを、どう育てていく?)
どうやったら、父親の予想を上回る製品に出来る?

答えは――茜が、さっき言っていた。


『ネットの普及による変化が、それまでの変化と違うのは、物が無くても秋葉原に集まる層が現われた、ということなんだと思います。家電やパソコンみたいな、目当てになるモノが無いのに、秋葉原に来る人がいる。ただ秋葉原に来て、秋葉原を楽しんでいく――オタクでも、オタクでなくても』

『結論として、秋葉原は物よりも体験を売る街になった――って、すごく普通のことを言ってますね、私。でも、秋葉原に来ること自体を楽しく思わせる何か――それこそが、現在の秋葉原のチャンピオンなんだと思います』

『根底にあるのは、おそらく勃興したソーシャルネットワークとの親和性の高さで――』


千嘉良は思った。

(マジックフィンガーズという製品でなく、
マジックフィンガーズという体験。
それを、商品にすればいい。

たとえば、ロボット。
中央通りで、CGのロボットを使って対戦する。
ビルくらいの大きさのロボットだ。

中央通り沿いのビルに、二つ、部屋を借りよう。
ひとつは中央通りの駅側、もうひとつは反対側に。

お客さんは、窓から中央通りを見下ろしながら、巨大なロボットで対戦する。

ロボットが歩く度に道がへこむ。
ロボットが倒れこめば、ビルも壊れる。

秋葉原が、火の海になったりもするだろう。

ネットを使うのもいいな。
日本中、いや世界中のどこからでもいい。

マジックフィンガーを着けて、窓の前に立つだけでいい。
スイッチを入れれば、窓の外が、秋葉原に変わる――)

そんな空想をしている自分は、いま、
(秋葉原を、正しい角度で見ているのかもしれない)
と。

それが勘違いに過ぎないのかどうか、茜が側にいたら、訊くこともできたのだろうけど。

(はは……図々しい、っていうか未練がましい)

思いながら、指でメガネのフレームを擦った。
「ハロー」
言ったが、何も起こらない。

当然だった。

声がした。

「それじゃ、ダメです」


十数分前の、駅前の広場。

「これ、あなたのですよね?」

横からメガネを差し出した山形に、

「そうです――ありがとう」
 
礼を言ってメガネを受け取り、

「こちらは、もう少しお借りします」

それまでかけてたメガネ――マジックフィンガーズを、千嘉良はポケットに収った。


「そうだね」

千嘉良は、メガネを外した。
そしてポケットから出したマジックフィンガーズに、かけ変える。

伸びてきた白い手が、フレームを擦った。
桜色の唇が、魔法の言葉を紡いだ。

「ハロー」

次の瞬間。
千嘉良の目の前に現われたのは――白いセーターにスキニージーンズ。
メイド姿では、なかった。
だけど、やっぱり――魔法だ。

茜が、そこにいた。


「バッテリー切れですね……電源、入れっぱなしだったんじゃないですか?本当にギリギリ――なんとか、GPSだけは生きてますけど」

茜の見せるスマホの画面では、地図と点滅する光点が表示されている。
それが千嘉良の居場所を示しているのは、言われなくても分かった。

それよりもだ――千嘉良は焦った。

「頭にきますよね。私の元カレ、新潟にいるって言ってたくせに、実は池袋で遊んでたんですよ!?」
「あの……いいのかな?」一応、訊いてみた。
「良くはないでしょう」ぎゅっと腕に力を込めながら、茜が答えた。

千嘉良のコートに潜り込むように、茜は、千嘉良に抱きついている。

「恋人と別れたのと同じ日に、別の人とこんなことしてるのは、良くないと思います」
「別れたんだ……」
「元カレという表現で、遠回しに伝えたつもりですけど?」

言いながら唇を尖らせて――それから照れくさそうに、茜は続けた。

「思ったんです。彼氏がいるくせに他の人のことを好きになるのは、男としてどうかなって――それに、このまま山形くんと付き合い続けでも、同じことの繰り返しなんだなって」
「……」
「だったら素直になったほうがいいなって。だから、彼に言ったんです『好きな人が出来たから別れてほしい』って――ふふふ。こっちから、振ってやりました」
「……」
「もちろん、山形君と別れて、しばらくは誰も好きにならないという選択肢もあります。実際、そうするつもりでした」
「……」
「今日中に、またあなたと会えなかったら、そうするつもりでした」

目を伏せ、ほのかに頬を赤くする茜は儚げで、一方、茜の手の中のスマホでは、千嘉良の位置を示す光点が、異常なまでに力強く点滅していた。

(『会えなかったら』って――会えないかもだなんて、絶対、思ってなかったでしょ!?)
(なんなんだろう。茜君の、この逞しさって)
(やっぱり、男の人なんだな……)

半ば呆れつつドキドキする千嘉良を、茜が見上げて言った。

「でも、また会えました。彼とも別れました。
だから――だから、あなたを好きになってもいいですか!?」

耐え切れずわなないて、千嘉良は叫んだ。

「3秒!立ち止まります!!!」

信号が、青に変わった。
茜の肩を抱いて、千嘉良は歩き出した――横断歩道の真ん中へ。

茜と千嘉良が出会ってから、4時間と20分。

2人が恋人同士になるには、それから2秒で充分だった。

<完>


歩き出したら、足の震えが止まった。

隣を歩く千嘉良は、時々うしろを振り向いては、ロシア人に手招きして何か言ってる。
その度に、千嘉良もロシア人も、大声で笑う。

「ロシア語、出来るんですね」
「うん、ちょっとだけ――留学してたから。師匠の同行で、サンボを習いに」
「そっか。格闘技、やってたんですよね」
「試合には、出たことないんだけどね」

茜は、いまさら考えていた。

(どういう人なんだろう?)
(美人でケンカが強くてロシア語が話せて中身も外見も男前な)
(1日に4杯もラーメンを食べる社長令嬢って……あ!)

「おわっとぉ!」
つまづいて転びかける千嘉良を見て、

(……おまけに、ちょっとドジだなんて、完璧じゃないですか)

思わず胸を押さえたら、奥の方が、とくんとくん騒がしくなってた。

(心臓!心臓!運動不足なのにいっぱい歩いたから、心臓がびっくりしてるだけ!)

そんな茜の横で千嘉良は、
「はぇえー……はぁあ。ほお……ふぅうん。流行ってるなあ、濃厚鶏白湯」
楽、がんこラーメン、良平、モミジ――蔵前橋通りに並ぶラーメン屋に、興味津々の様子だった。

(このぉ……)

ちょっと、意地悪してやりたくなった。

「デートみたいですね」

顔を近づけて言ってやったら、

「うん……そう?だね?」

手で顔を隠して、千嘉良は、そっぽを向いてしまった。

(なんて、可愛らしい人なんだろう)

胸の奥が、ますます騒がしくなっていく。
さっきまでは、まるで泣いた後みたいに頼りなかったその場所が、何かで満たされていく。

それがどういうことなのかは、茜も理解していた。
声が出た。

「あ」

妻恋坂の交差点を、曲がったところでだった。
足が止まった。
身体の芯が凍りついたように寒くて、なのに顔だけはどんどん熱くなっていく。

「ヴァジャゥ ステイシーデ ツンナ スルドゥシ シグナル」

ロシア人を先に行かせて、千嘉良が言った。
「歩いて」
肩を抱かれた。
「言ってみな」
促されて、茜がようやく口を開いたのは『ほっともっと』を過ぎた辺りでだった。


「私が社長と別れたのが、去年のいまくらいで。

その頃は、毎日、細かいテストと修正の繰り返しで、その日も、テストでこの辺りを歩いてたんです。

山形くん――彼と一緒に。

彼が、社長と付き合ってたことがあるのは知っていました。
だから、私が社長と付き合ってたことも、もう別れたことも、彼には黙っていました。

でも――
『俺も、同じパターンでしたよ』
って……彼、気付いてたみたいで。

この道を、歩きながらでした。

慰めてくれて、それで……
とても、優しくしてくれて……」


千嘉良は言った。
「泣いちまえ」


千嘉良の声がした。
「泣いちまえ」
抱かれた肩が、痛いほどだった。

まるで全身を握りしめられてるみたいで――茜は思った。

(この人は、優しい)

神田明神下で曲がって、行列に並んだ。
境内に入るなり、人混みに大騒ぎしながら、ロシア人たちは、どこかに消えてしまった。
お参りして、おみくじを引いて、絵馬を書いて、甘酒を飲んだ。

(この人は、社長や山形君みたいに、私を裏切ったりしないと思う)

神田明神下まで戻って、そのまま真っすぐ中央通りまで出て、
「アイカツばんざ~い!」
クラブセガの前で大騒ぎしてる人たちの声を聞きながら、さっきと同じ、ベルサール前の横断歩道を渡る。

(きっと、私との関係を大事にしてくれる)

ガンダムカフェが見えるところまで来た。
駅前の広場で、ライブをしてる人がいた。

(でも――だから、)


普段なら終電があって、それを口実に出来る。
でも今日は、朝までJRが動いている。
茜と一緒に、ライブを眺める人たちに混じりながら、千嘉良は唸った。

(そもそも終電があったとしても――それを口実に、何をする?)

根本的な部分での問いだった。
そして、単純な問いでもあった。

(答えは2択)
(帰るか?)
(それとも帰らずに一緒にいるか?)
(どうしたいんだ?この、自分ってやつは)

隣を見た。
茜は、既にメイド服ではなかった。

マジックフィンガーの効果は、いつの間にか消えてしまっていた。
神田明神下を、渡った辺りでだろうか?
それとも、0時を過ぎた辺りでだろうか?
千嘉良には、わからない――ぞくり。

『で、どうするの?』

誰かに訊かれた気がして、千嘉良は、思わず後ろを振り向きそうになる。
それから、茜を見た。
そしたら、茜も千嘉良を見てた。

「これ、あなたのですよね?」

メガネを差し出す手。
茜の呟き。

「山形君……」

どんな風に遠ざかっていったかは、憶えてない。
茜と、突然現われた茜の彼氏は、いなくなってた。

「貞夫さんにふられて……慰めてくれた山形って奴と付き合って、」

ライブも、終わっていた。

「山形にふられそうになったら、今度は奥田千嘉良って奴に慰められて……」

千嘉良は、メガネをかけた。

「って、同じことを繰り返すわけにはいかないよね」

何の魔法も起こせない、ただのメガネだった。


茜と千嘉良が出会ってから、4時間が経っていた。


「君の会社の社長――貞夫さんは、自分の父親の弟なんだ。
18歳の時、新潟の実家に絶縁されて、遠縁にあたる自分の祖父の養子になった。

自分の父親は、民夫っていうんだけど……

祖父は、実の息子――民夫に自分の会社を譲って、貞夫さんは自分の知り合いの会社に就職させた。

でも貞夫さんは、しばらくしたら独立したいって言い出して……それでお祖父ちゃんは、父さんの会社に出資させて貞夫さんに会社を持たせたんだ。

だから、今回は追加の出資になるはずだったんだけど――保留になった。
最初の出資の時とは、事情が変わってしまっていたから。

父さんの会社が上場することになって、いままでの様に社長の独断でお金を動かすのが、難しくなってしまったんだ。

だから保留というのは、通常の手続きで出資を検討した結果で――」

「わかります。実質的には、却下ということですよね」

「言っておくけど、問題になったのは製品じゃなかった。貞夫さんの、経営者としての資質だったんだ」

『ばんから』を出て、そんなことを話しながら歩いてたら、再び蔵前橋通りに出た。
またセブンイレブンでカップのコーヒーを買って、今度も店頭のゴミ箱横に潜り込んだ。

「貞夫さんってさ、お金を引っ張ってくるのは上手なんだ。だから、父さんの会社以外にも、スポンサーがいないわけではなかったんだけど……でもね、それ以降がダメなんだ。

集めたお金で事業を回していくセンスが決定的に不足しているっていうのが、父さんの会社が出した結論。こんな会社に出資したら、株主の突き上げを食らってしまうってね。

それでも貞夫さんは、いま手がけてる製品のデモだけでも見てくれって……仕方なく父さんは、お祖父ちゃんのところで勉強させてた娘――自分に相手をさせることにした。

もう分かってると思うけど、年明けに君がデモする予定だった相手は、自分だったんだ。

デモは見せてもらったから、後は自分が上の人間に報告して、それで終わり。
率直に言って、今回の件に関して、君や貞夫さんができることは、もう無い」

「…………」

「あのさ、貞夫さんってロクでも無いヤツだけど……逆に、だから、みんな好きになるんだと思うんだ」

「はい」

「君や君の彼氏が貞夫さんを好きになったのも、仕方ないと思う。別れた後も振り回されてしまうのも……少なくとも、君が悪いんじゃない」
「でも……そういう人を好きになって、それでどうするかは、自分の責任ですよね」
「そうだね」 
「ふふ……そうですよね」

茜が微笑った。
これからどうする?
とは、千嘉良は訊けなかった。
首をコキコキやったら、コンビニの時計が見えた。

(あと10分で……年が変わる)

最初は、ナンパかと思った。
「スッマセ、スッマセ……」
すいません、と言ってるらしかった。

よく見たら、中には女性もいる。
白人の男女――人数は5人。
(観光客?)
目があった途端、タブレットを差し出してきた。
表示されてる、字を見たらわかった。

「ロシア人だ。この人たち」

道案内を求めているらしい。
タブレットの画面は、ルート選択済のグーグルマップ。

「神田明神に行きたいみたいですね。でもこれ、清水坂下から回りこむルートだ……妻恋坂から明神下に下っていったほうが行列の最後に付くのが楽だけど、外国の人に説明できるだろうか、うーん……」

思案する茜の横顔に、千嘉良は思いつく。
考える前に、言ってた。

「初詣、行こうか?」

というわけで、千嘉良と茜にロシア人5人を加えた一行は、神田明神を目指して、蔵前橋通りをぞろぞろ歩き出したのだった。


茜と千嘉良が出会ってから、2時間と55分

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