マジックフィンガーズ(2)

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再び中央通りに出た。
目の前には、タイトーステーションの赤い看板。
夜空に昇ってくインベーダー。

「――ああ。『角度を間違えた』って話でしたよね」

声に千嘉良が振り向くと、茜が、再び指で四角を作っていた。

「また、地図ですか?」
「ええ――今度は、ちょっと大きいですよ?」

確かに次の瞬間、さっきより倍は大きな地図が、千嘉良の目の前に掲げられていた。
茜が言った。

「さて、さっき私は言いましたよね?『秋葉原は小さな街だ』って。でも、それって嘘ですから」
「嘘?」訊き返しながら千嘉良は、なんだか楽しいような、切ないような気持ちになっていた。

「秋葉原は、街ではありません」
「じゃあ、何なんですか?」
「じゃあ、ずばり言ってしまいましょう――いいですか?千嘉良さん」
「はい」名前を呼ばれると、ぞくぞくした。

「歌舞伎町のことを考えるとき、殆どの場合、そこには東口の駅から靖国通りまでの一帯や、西口周辺のイメージも含まれています。

それは何故か――歌舞伎町が、新宿というおおよそ2キロ4方の街の一部として捉えられているからです。

一方、秋葉原はどうでしょう?

秋葉原をわからないという人は、秋葉原を、秋葉原だけで捉えようとしている。

他から独立した、それだけで成り立ってる街ででもあるかのように――だから、秋葉原を捉え損ねてしまう」

「だから、街と考えないほうが、分かりやすいと?」

「そうです。では、街でなければ、秋葉原とは何か――」 

茜が、手を動かした。
地面と水平に。
左から、右へ。

千嘉良にはそれが、目の前の中央通りの路面を、指先で撫でてるように見えた。 

(きれいだ……)

宙に浮かんでいた地図の建物が、路面の模様となり、色が付き、むくむく膨らんで起き上がり……

気づくと、茜の指先が触れた先――車の行き交う中央通りに、千嘉良の腰くらいの高さのビル群が現れていた。

ダイビル、ヨドバシ、秋葉原駅。
アトレ、UDX、ラジオ会館跡地。
オノデン、旧エディオン、ベルサール秋葉原

秋葉原の街並みが、そこにあった。
しかし――

(秋葉原だけじゃ……ない?)

小さな街並みの片方の端は、秋葉原駅から始まっている。
しかし、もう片方の端は電気街の端――末広町で終わらず、もっと先の、

「上野駅?」

まで再現していた。
茜が、むしろ静かな声で言った。

「歌舞伎町が新宿の一部であるように、秋葉原もまた、より大きな『街』の一部として捉えるべきでしょう。

中央通りの、神田川から上野駅の間に現われた直線。
その両脇にいくつも存在する、店舗が密集したブロック。
更にその中の、秋葉原駅に近いいくつか――

それこそが、一般的に秋葉原と呼ばれている場所の正体。
秋葉原を理解するのに適したスケール感なんだと思います」


茜と千嘉良が出会ってから、1時間と40分


「ここからここまでが秋葉原だとして、何メートルあると思いますか?」

茜が、地図を指で突いた。
一点はさっき通ってきた東京三菱UFJ銀行。
そしてもう一点は、駅から出て中央通りを跨ぐ、総武本線のガードだ。

「500メートルくらい?」

「正解です。万世橋まで含めても600メートルにも達しません。
そして昭和通りから昌平橋通りまでも、同じくらい。
500×500メートルの小さな四角形に、駅や学校や公園、そして無数の店舗群が詰め込まれている――この密度が、慣れない人間からスケール感を失わせる」

「スケール感?」

「自分で歩いて感じた100メートルと、
地図上の100メートルを一致させる感覚だと思ってください」

少し歩いたところで、左に曲がった。

「ところで、秋葉原と同じくらいの広さの街として、新宿歌舞伎町があります。
しかし歌舞伎町は、秋葉原と違って、わかりやすい。

理由は、人の流れを導く動線にあります。

歌舞伎町の場合、靖国通りや新宿通りを貫く太い動線が、駅から垂直に伸びている。
一方、秋葉原には、そういったエリア間を貫き導く太い動線が無い。
だから、駅や中央通りを跨ぐ度に、エリア間の違いが脱臭されてしまっている」

「それ、なんとなくわかります。どこに行っても、同じような店ばかりで……」

「そうです。分からない人にとっては、どこに行っても同じような景色、そして同じような店が並んでる様にしか見えない――均質なんです。
そして、この均質さには秋葉原の歴史も影響している」

あきばお~の前を過ぎた。

「昔は、青果市場があったんですよね?」

「最初は、原っぱだったそうですけどね。
秋葉原は、これまでラジオの街であったり、
家電の街であったり、パソコンの街であったり――
そしていまでは、オタクの街として知られている。

重要なのは、これだけの変化が、戦後の60数年という、
都市の歴史としてはむしろ短い期間に行われたということです。
それが、何を意味するか――」

紙風船の前を過ぎた。

「何ひとつして、消え去っていないんですよ。
それまでの時代のチャンピオンだったラジオや家電がまだ生きてるところに、次の時代のチャンピオン――パソコンやオタクが乗り込んで、普通に共存している。

ラジオや家電といったそれぞれのジャンル内での栄枯盛衰はあっても、一旦チャンピオンとなったジャンル自体が、秋葉原から完全に消え去ってしまうことはない。

その結果がこれです――同じ系列の店舗が街中に点在し、どの通りにも、ジャンク屋と、PC屋と、オタク相手のショップと、メイド喫茶のいくつか、もしくは全部が立ち並んでいる」

「それが……悪いというわけじゃないんですよね?」
「もちろんです」

にっこり笑って、茜は続けた。 

「私が初めて秋葉原に来たのは、8年前でした。
正直、がっかりしました。
だって、品物を探すならネットの通販の方が簡単だし、値段もずっと安かったから」

「何を買ったんですか?」

「パソコンの電源です。+12Vの」
「………」

「それで、家に帰ってからこう考えたんです。
秋葉原って、ネットを使いこなせない古いオタクのための、ショッピングモールなんじゃないか?って。
いまは過渡期で、それが過ぎたら、一気に寂れていくんじゃないかって……
バカでしたね。
確かに過渡期ではあったけど、結果は逆でした」

「逆?」

「実際は、ネットの通販に不慣れで実店舗に来ていた層が、そのまま『通販は面倒だから実店舗で買う』という層にシフトしただけだったんです。

加えて、ネットの普及による全体的なパイの増加――

それに、通販では扱われないような商品は、決して種が尽きない――ちょっと、行き過ぎちゃったな。ま、いいか」

三月兎を過ぎた角で、左に曲がった。

「いま思うと、私が始めて秋葉原を訪れたその頃から、オタクの次のチャンピオンが、現れ始めていたんじゃないかと思います」

「それが、現在のチャンピオン?」

「そうです――そして現在のチャンピオンには、名前が無い。
ラジオ少年や、パソコン少年、オタクといったそれぞれの時代のチャンピオンの特質が抽象化され、最終的にはアキバ系と呼ばれる様になって、アキバ系という言葉すら抽象化されて、そして――」


茜と千嘉良が出会ってから、1時間と35分。

「はい――自分で、お役に立てるなら」
こくこくと、千嘉良が頷く。

(大!成!功!)

茜は歓喜した。
一番ヤバかったのは、やっぱり、千嘉良がメガネを外そうとした時だろう。

外したメガネをまた着けて説明を受けるのと、メガネを付けたまま説明を受けるのでは、後者のほうが心理的抵抗は少ないだろうし、なにより、段取り無しでいきなりCG無しの素の姿を晒してしまったら、余計な不信感を抱かせかねなかった。

だから、千嘉良にメガネを外させなかった時点で、目的達成までのハードルは、ぐっと下がったといって良かった。

そしていま茜と千嘉良は、中央通りと蔵前橋通りが交わる外神田五丁目交差点――地下鉄の末広町駅前にいた。

もっとも、2人が立ってる場所は別々だ。
茜は、たい焼きの神田達磨の前で信号待ちしていた。

リハーサルは、既に始まっている。

信号が変わった。
三菱東京UFJに向かって、茜は歩き出す。

地下鉄の看板の下から、千嘉良がこちらを見てた。
本番では、同じ場所で、出資者を連れた茜の会社の社長が待ってるはずだ。

横断歩道を渡って、千嘉良の前に立ち、茜はメガネを擦って言った。
「ハロー」
茜をメイド服に着替えさせる、魔法の言葉だ。 

本番では、出資者相手にこれをやるわけだが――さて、いま出資者役の千嘉良の視界で、
(ちゃんと、メイド服になってるかな?)
確認のため、千嘉良の顔をのぞき込んでみた。

すると千嘉良は、
「メイド……服です。可愛い……です」
言って、顔をそむけてしまった。

茜は、またも歓喜する。

千嘉良のこの反応も含めて、
(大!成!功!)
だった。


「今回のデモではですね、CGでメイド服姿になった私が、出資者の方と、実際の『おさんぽサービス』と同じように、秋葉原をお散歩する予定なんです」

というわけで、まずは三菱東京UFJの前から、中央通りを、駅に向かって歩き始めた。

「ちょうど良かったかも」と、千嘉良。
「と、おっしゃいますと?」
「自分、秋葉原って、よくわからないんですよ。地図を見ながら歩いても……地図の中の100メートルと、自分が歩いて感じた100メートルが一致しないっていうか……どこを目印に歩けばいいのかも分からないし……どうしてなんだろう?」

そんな千嘉良の疑問に、茜はこともなげに答えた。

「それは、角度を間違えたんでしょうね」
「角度?」
「秋葉原への、突入角度です」

両手をパンと合わせると、指で四角を作り、茜は、ぐっとそれを引き伸ばして見せた。
すると四角の中に現われたのは――地図。
秋葉原の地図だった。
意地悪そうな笑みを浮かべて、茜が言った。

「気づいてます? 秋葉原って、凄く小さいんですよ」

二人は、立ち止まった。
じゃんぱらと、博多風龍の間の道だった。


茜と千嘉良が出会ってから、1時間と15分。

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