マジックフィンガーズ(2)

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「お散歩サービスって、知っていますか?」

いきなり、話題が変わった。

「メイドさんや女子高生と、お散歩するっていう――アレですか?」
「そうです。これは、そういったサービスを提供している業者さんの意見から着想を得て、開発が始まった製品なんです」

これとは――『マジックフィンガーズ』。
いま千嘉良がかけてる、メガネのことだ。

「メイドさんと、お散歩したい。でも、メイドさんと一緒に歩くのは――そういうサービスを使ってることを他人に知られるのは、恥ずかしい。そういう理由で利用をためらっている顧客予備軍が、一定数存在しているのではないかと考えたんです」

「その、業者の人が?」

「はい。私の会社の社長と雑談してる時に出た話なんだそうですけど、社長がそれを持ち帰って、企画の形にして、出資を取り付けて、開発が始まったのが2年前――」

ということは、当然だが、この製品を作るのに2年がかかったことになる。
それが長いのか短いのか、千嘉良にはよく分からなかった。

「――それで年明けに、ようやく出資者向けのデモが出来るところまで漕ぎ着けました。これまでの出資が開発のためのものなら、今度は商品化のためのデモで……ああ、こんな話いくらしたって、これとそれとがどう繋がるかなんて、わかりませんよね?」

「ええ、まあ……そうですね」
「じゃあ、ちょっと来てください」 

言うと、茜は歩き出した。
「ここは、鏡が無いからな……」
呟いて、セブン-イレブンの前を素通りする。

横断歩道を2回渡って、交差点の向こうのサンクスに入った。
レジ前を過ぎ、店の中央にある、お菓子の棚に挟まれたスペースへと進んだ。

「見てください」

立ち止まったのは、柱に着けられた、大きな鏡の前だ。
言われた通りそれを見て、

「え……ええぇえ!?」

千嘉良は、小声で絶叫していた。

慌てて、隣を見た。
茜がいた――メイド服の茜が。

鏡に視線を戻せば、当然そこには千嘉良と――茜。
しかしこちらの茜は、メイド服ではない。

「失礼します」

メイド服の茜が、千嘉良のメガネに触れた。
指先で、フレームを擦って言った。

「グッド・バイ」

同時に、メイド服の茜が消えた。
千嘉良の隣の茜も、鏡の中の茜と同じ服装になっていた。

ほっそり均整の取れた身体を包む、スキニージーンズとぴったりしたセーター。

それを見て、千嘉良は――
(これは……これはこれで! いい!) 
――千嘉良は、けっこう駄目な人だった。 

もう一度、茜がフレームを擦って言った。
「ハロー」
鏡の中の茜は、ジーンズにセーターのままだ。

しかし、千嘉良の隣の茜は――
一瞬で、メイド服になっていた。

「こういうことです」

ちょっとドヤ顔の入った表情で、胸を張る茜。
(だから、どうしてそんなに可愛いんだと――)
心のなかで文句を言いつつも、千嘉良は考えた。

「これって、さっき文字を出したみたいに――」

考えた、そのままを呟いていた。

「メイド服の……CGを、表示している?」

そう考えてみると、納得がいくことがあった。
例えば、さっきのセブン-イレブンの店内。

無反応だった。

いまいるサンクスも、同じだ。

いくら秋葉原だからって、メイドさんがコンビニに入ってきたら、少しは注目されるはずだ。
なのに、メイド姿の茜に、客も店員も全くそれらしい反応を示していなかった。

「現実の、あなたの姿に合わせて――メイド服のCGを表示している」

理由は、茜のメイド服が、自分にしか見えないCGだから。
そして、現実の茜に重ねて映しだされたCGだから――

「だから、鏡の中のあなたは、そのままの服装なんだ」

茜が言った。

「その点は、サービスイン後に対応する予定の課題です」

どうやら、正解らしかった。
最近良く見る40円のチョコレートを買って、2人はサンクスを出た。

「ちなみにそのレンズ、外からは普通の透明なレンズにしかに見えませんが、内側はスクリーンになっています。どうやってCGを投影してるかは、話さないでおきます。面倒な割に、盛り上がらない話なので」

チョコレートを口に放り込むと、茜はコートに袖を通して歩き出した。
一方の千嘉良はといえば――

(すごいすごいすごい……これって、いわゆるAR――強化現実だよね? スマホで建物にCGを重ねたりするのは見たことがあるけど、現実の動いてる人間に服を重ねるなんて――しかもこんな町中で、普通に――使ってる自分が、まったく気付かないくらい自然に!……すごいすごいすごい!)

――まるで世界の秘密でも知ってしまったかのような浮かされ方だった。

考えてみて欲しい。

「お願いがあります」

そんな状態の人間が、こんなことを言われたら、どうなってしまうのか?

「これから、出資者へのデモのリハーサルを行いたいと思うのですが――ご協力いただけませんか?」 

心臓が止まりそうになっても、全く不思議がなかった。


茜と千嘉良が出会って、もう少しで1時間。 


「確かに……そうだけど。伊達メガネだけど」

茜が指摘した通り、千嘉良のメガネには度が入っていない。
でもそんなの、こんなに短い時間一緒にいただけで、分かるものだろうか? 

レンズを見て判断したのかもしれないけど、よっぽどよく見なければ、そんなのわからないような気がした――そして千嘉良は、茜に顔を凝視された覚えはない。

(そんなのされたら……絶対、気付くし)
(こんな、きれいな顔で見つめられたりしたら……)
(あ、想像したら……)

かあっとなった頬を、千嘉良は、コートの襟で隠した。
「あー、寒い寒い(棒)」

でも、そんなの全く気付いてない様子で、茜は話を進める。
「ところで、今日、駅のホームで人とぶつかりませんでしたか?」

そんな茜を、ちょっと憎々しく思いながら、千嘉良は答えた。
「え!? ぶつかり……ましたけど」

「それって、私の後輩なんですよ」
「んん?」

「で、今あなたがかけてるメガネって、その後輩のものなんです」
「ってことは?」

「ぶつかった時に、入れ替わっちゃったみたいなんですよ――あなたのメガネと、私の後輩のメガネが」
「ご、ごめんな――」

「あ、メガネ、とらないでいいです。っていうか、とらないでください」
「はあ……」

「そのまま――かけたままでいてください」
「はい…………」

千嘉良がメガネにかけた手を下ろすと、茜は、どこかほっとしたように微笑って、

「偶然とはいえ……気味が悪いと思われるかもしれませんけど」

言いながら、取り出したスマホの画面を千嘉良に示した。
画面には地図と、点滅する光点。

「いまあなたがかけてるメガネには、GPSが内蔵されています。後輩から、駅でぶつかった人とメガネを取り違えたと聞いて、GPSでメガネの場所を調べて――そうして分かった場所に行ったら、あなたがいて――」

と言いながら、肘打ちのポーズ。
それが妙に板についていて、思わず千嘉良も(うまい――)って(そんな場合じゃない!)。

「さっきの文字って、このメガネが見せてたんですよね? 凄いなー。こんなのが、もう手に入っちゃうんですね」

Googleグラスのことくらいは、千嘉良も知っている。
一般発売にはまだ時間がかかりそうなことも。

ネットの記事で写真を見た時は、
(これってメガネっていうより、歯医者さんが着けてるアレみたいな……)
と呑気な感想を抱いたものだが、それに比べると、いま千嘉良がかけてるメガネは、当然だが、ちゃんとメガネに見えた。

「こんなのが、もう発売されちゃってるんだ――凄いなあ」

はしゃぐ千嘉良に、茜が、はにかみながら言った。

「いえ。これはまだ、市販されてません。私の会社で開発中の製品です。
マジックフィンガーズ』――まだ、仮の名前なんですけどね」
 
 
茜と千嘉良が出会って、ちょうど40分が経っていた。 


(怖っ……)

歩き出した途端、不安が沸き上がってきた。
男が起き上がって追いかけては来はしないか――千嘉良は、気が気でなくなっていた。

(さっきまでは、興奮してて気が付かなかったけど……)

そんなのあり得ないことだとしても、仮に男が再び襲ってきても、また殴り倒せば良いだけの話なのだとしても――少なくとも千嘉良の中では、それとこれとでは、心の全く別の場所にある問題なのだった。

(自分に悪意を持った相手がそこにいて――)
(その相手に、背中を向けて歩く――)
(――なんて、心細いんだろう)

早足でアキバ田代通りを出て、カレーの市民アルバの前を過ぎた。
その辺りでだった。
浅く息を吐き、茜が言った。

「走りましょう」

気が気でないのは、千嘉良だけではなかったのかもしれない。
小走りで蔵前橋通りに出て、セブン-イレブンでカップのコーヒーを買った。

店頭のゴミ箱の脇で手を暖めてたら、ようやく話をする余裕が出てきた。
通りの向こうの、東京チカラめしを眺めながら話した。

「あの店、開店するとき、予告から何ヶ月も遅れたんですよ?」

そんなところから始まり、すぐに、さっきの男の話になった。

「ナンパかもしれませんね」
「え?」

「まあ、冗談なら趣味悪いですけど。でも……他人への好意っていうか、仲良くしたいなって思う気持ちを、ああいった形でしか表せないっていうか……人間って、本当にネガティブな動機で行動することって、そんなにないんじゃないかなって思うんです。ただ、それを表に出す方法が愚かしくなったりすることがあるだけで……」

「…………」
「ごめんなさい。私、語っちゃってますね」
「いいです! いいです。いいです……ちょっと、安心しました」
「安心?」

「自分……秋葉原へは、ラーメンを食べに来たんですよ。それで、あの男の人……どうしてラーメン屋ばかり出来るんだって怒ってたから。自分は、この街には――この街を好きな人には、ラーメン目当ての自分みたいなのが来るのは、迷惑なのかなって思ったから――ああ、すみません。自分も、語っちゃいました」

千嘉良が笑うと、茜も笑っていた。
茜が言った。

「なんだ、そんなことだったんですか」
「そんなことって……ひどいなあ」

「違いますよ。そんなことっていうのは、あの男が、そんなことで怒ってたのかってことです」
「でも、それって……自分が好きな街が変わったら、誰でも寂しいしと思うだろうし」

「それはそうですけどね――でも、あの人って大人じゃないですか。
自分の好きな街が変わってしまって、切ない想いをする……そういう感情は、普通にあるものなんだと思います。でも……大人じゃないですか。子供なら、そういう気持ちを口に出してもいいと思うけど……」

通りを、車が何台も通り過ぎて行く。
セブン-イレブンの時計は、10時を回っていた。
(大晦日の夜10時――)
千嘉良は、自分でもよくわからない気持ちになってた。

「街を作ってるのって、大人じゃないですか。だから、街が変わるのが嫌だからって、それに文句を付けるのは――怒りを他人にぶつけるのは、違うと思うんです。それを防げなかった……どうにも出来なかった、自分から目を逸しちゃいけないと思うんです」

茜の横顔を見ながら、
(語りたがりなんだな……)
と、千嘉良は思う。

人によってはウザく感じるかもしれない熱さで自分の考えを述べる茜は、だけど、千嘉良にとって決して不快ではなくて、むしろ――

(……頼もしいな)

――そんなことを考えて、ぼおっとしてるところで訊かれた。

「そのメガネ、度が入ってませんよね?」

茜と千嘉良が出会って、そろそろ30分が経とうとしていた。 

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