「お散歩サービスって、知っていますか?」
いきなり、話題が変わった。
「メイドさんや女子高生と、お散歩するっていう――アレですか?」
「そうです。これは、そういったサービスを提供している業者さんの意見から着想を得て、開発が始まった製品なんです」
これとは――『マジックフィンガーズ』。
いま千嘉良がかけてる、メガネのことだ。
「メイドさんと、お散歩したい。でも、メイドさんと一緒に歩くのは――そういうサービスを使ってることを他人に知られるのは、恥ずかしい。そういう理由で利用をためらっている顧客予備軍が、一定数存在しているのではないかと考えたんです」
「その、業者の人が?」
「はい。私の会社の社長と雑談してる時に出た話なんだそうですけど、社長がそれを持ち帰って、企画の形にして、出資を取り付けて、開発が始まったのが2年前――」
ということは、当然だが、この製品を作るのに2年がかかったことになる。
それが長いのか短いのか、千嘉良にはよく分からなかった。
「――それで年明けに、ようやく出資者向けのデモが出来るところまで漕ぎ着けました。これまでの出資が開発のためのものなら、今度は商品化のためのデモで……ああ、こんな話いくらしたって、これとそれとがどう繋がるかなんて、わかりませんよね?」
「ええ、まあ……そうですね」
「じゃあ、ちょっと来てください」
言うと、茜は歩き出した。
「ここは、鏡が無いからな……」
呟いて、セブン-イレブンの前を素通りする。
横断歩道を2回渡って、交差点の向こうのサンクスに入った。
レジ前を過ぎ、店の中央にある、お菓子の棚に挟まれたスペースへと進んだ。
「見てください」
立ち止まったのは、柱に着けられた、大きな鏡の前だ。
言われた通りそれを見て、
「え……ええぇえ!?」
千嘉良は、小声で絶叫していた。
慌てて、隣を見た。
茜がいた――メイド服の茜が。
鏡に視線を戻せば、当然そこには千嘉良と――茜。
しかしこちらの茜は、メイド服ではない。
「失礼します」
メイド服の茜が、千嘉良のメガネに触れた。
指先で、フレームを擦って言った。
「グッド・バイ」
同時に、メイド服の茜が消えた。
千嘉良の隣の茜も、鏡の中の茜と同じ服装になっていた。
ほっそり均整の取れた身体を包む、スキニージーンズとぴったりしたセーター。
それを見て、千嘉良は――
(これは……これはこれで! いい!)
――千嘉良は、けっこう駄目な人だった。
もう一度、茜がフレームを擦って言った。
「ハロー」
鏡の中の茜は、ジーンズにセーターのままだ。
しかし、千嘉良の隣の茜は――
一瞬で、メイド服になっていた。
「こういうことです」
ちょっとドヤ顔の入った表情で、胸を張る茜。
(だから、どうしてそんなに可愛いんだと――)
心のなかで文句を言いつつも、千嘉良は考えた。
「これって、さっき文字を出したみたいに――」
考えた、そのままを呟いていた。
「メイド服の……CGを、表示している?」
そう考えてみると、納得がいくことがあった。
例えば、さっきのセブン-イレブンの店内。
無反応だった。
いまいるサンクスも、同じだ。
いくら秋葉原だからって、メイドさんがコンビニに入ってきたら、少しは注目されるはずだ。
なのに、メイド姿の茜に、客も店員も全くそれらしい反応を示していなかった。
「現実の、あなたの姿に合わせて――メイド服のCGを表示している」
理由は、茜のメイド服が、自分にしか見えないCGだから。
そして、現実の茜に重ねて映しだされたCGだから――
「だから、鏡の中のあなたは、そのままの服装なんだ」
茜が言った。
「その点は、サービスイン後に対応する予定の課題です」
どうやら、正解らしかった。
最近良く見る40円のチョコレートを買って、2人はサンクスを出た。
「ちなみにそのレンズ、外からは普通の透明なレンズにしかに見えませんが、内側はスクリーンになっています。どうやってCGを投影してるかは、話さないでおきます。面倒な割に、盛り上がらない話なので」
チョコレートを口に放り込むと、茜はコートに袖を通して歩き出した。
一方の千嘉良はといえば――
(すごいすごいすごい……これって、いわゆるAR――強化現実だよね? スマホで建物にCGを重ねたりするのは見たことがあるけど、現実の動いてる人間に服を重ねるなんて――しかもこんな町中で、普通に――使ってる自分が、まったく気付かないくらい自然に!……すごいすごいすごい!)
――まるで世界の秘密でも知ってしまったかのような浮かされ方だった。
考えてみて欲しい。
「お願いがあります」
そんな状態の人間が、こんなことを言われたら、どうなってしまうのか?
「これから、出資者へのデモのリハーサルを行いたいと思うのですが――ご協力いただけませんか?」
心臓が止まりそうになっても、全く不思議がなかった。
茜と千嘉良が出会って、もう少しで1時間。