マジックフィンガーズ(2)

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「君――大丈夫?」

千嘉良が声をかけると、少女は立ち上がり、名刺を差し出してきた。

「あ、あのっ! 大丈夫です! ありがとうございます! 私、こういう者ですっ」

そのときだ――
(おいおいおいおいおい!)
――そのとき、ようやく千嘉良は気付いた。

メイドさんだった。

カチューシャ、ニーソックス、ミニのエプロンドレス。
少女は、いわゆるメイドカフェのメイドさんそのものだった。

「ぐふっ!」

驚きと、それ以上に、メイド服をプラスして改めて見る少女のあまりの可愛らしさに、千嘉良は思わず息をつまらせていた。
そして再び始まる、冷静なる混乱。

(どうしてこんなところにメイドさんが!)
(いや、ここって秋葉原じゃんか!)
(いやいや、秋葉原だからって、どこにでもメイドさんがいるわけでもないし!)
(いやいやいや、ここに来るまでに、結構、どこにでも、うじゃうじゃ、メイドさん、いたし!)
(いやいやいやいや、それにしても、それにしても、それにしても…………)
かわいい

それでもなんとか、名刺を受けりながら名乗った。

「失礼。名刺を切らしておりまして――奥田千嘉良と申します」

名刺を受け取りながら、
(んん!?)
千嘉良が目を止めたのは、少女の名刺入れだ。

黒皮の、ウロコ模様が入った無骨な一品。
目の前の少女の可憐さとは、あまりにミスマッチだった。

(案外、大事なポストを任されてるのかもしれない。客だけじゃなく、業者とも名刺のやり取りをする様な……)

考えながら、名刺を見る。
そこには、こんな肩書が印刷されていた。

『(株)EOTE ファニーエクスペリメンツ事業部
 チーフマネージャー 浅田茜』

(………………………………え?)

社名を見た。名前を見た。
改めて、注意しながら、少女の声を聞いた。

「あの……怪訝に思われるかもしれませんが……ちょっと、お話しさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

思った通りだった。

「え、い、いいですけど……」

答えながら、千嘉良は確信していた。

(……そういうことぉ?)

「うわぁ。ありがとうございます!」
ぴょん、と跳んで少女――茜が空を指さす。

(そういうことだよねぇ…………)

「文字入力 リアルタイム エントリー」
そして手を降ろし、指で作った『L』を、顔の前にかざした。

(それにしても、こんなに可愛いなんて――え?)

「はじめまして。EOTEの、浅田茜と申します」
茜が言った。

次の瞬間、それは、千嘉良の目の前に現れていた。
それとは――

『はじめまして。EOTEの、浅田茜と申します』

――茜が発した言葉が、そのまま文字となって、千嘉良の目の前に浮かんでいた。


千嘉良は、言葉を失う――またも出現した、目の前の文字に。
                  
(さっきのあの文字も――この子が?)

気づくと、
「やっぱり、見えてますよね?」
声と同時に、
『やっぱり、見えてますよね?』
新たな文字が現れていた。

千嘉良はうなずく。
「うん……見えてる」
その顔を覗き込み、茜は満足気に笑った。

「うふふ……『イクジット』。歩きながら、お話しませんか?」

今度は、文字は出なかった。
千嘉良は、頷くしかなかった。 


「あれなら、気にしなくていいです」

背後を指さしながら、茜が言った。
あれとは、肘と膝とパンチで、千嘉良がKOした男のことだ。

「きっと、どこの街にでもいる、困った人ですよ――大丈夫でしょ」

男は、苦しげに顔を歪め、唸りをあげてはいるが、
「う~、うぎぃ、うぎぅううううう」
意識はあるみたいで、イビキをかいたりはしていなかった。

倒れてる場所は歩道だし、車に轢かれることもないだろう。

「そうですね。放って置いても大丈夫そうだ」
「そうでしょう?とりあえず、蔵前橋通りに出ましょうか」

二人は歩き出す。

茜と千嘉良が出会って、とりあえず5分が経っていた。 

(……って、どうしてこっちに!?)

通行人は、まっすぐ、茜が転んだ場所に向かって走っていた。
心のなかで、茜は悲鳴をあげた。

(や、やめてぇええええっ)

声に出さなかったのは、さっき『逃げろ!』と叫んだ時に走った痛みがまだ残ってたからだし、いままた叫んだら、もっと痛くなるのも目に見えていた。

(潰されちゃうぅうううううううっ)

通行人は、茜よりずっと背が高くて、細身だけど大きい。

ストライドは広く、フォームは力強く――
「ふんふっ!ふんふんふんふん!」
――止まる気、見るからに、ゼロ。

(も、もしかして目撃者抹殺!? 私、踏み殺されちゃう!?)

茜の胸の中で、渦巻く絶望。
できることと言ったら、指で小さな『X』を描くことと、それから――

それから、こんな風に、小さく呟くことくらいだった。

「文字入力……『止まって』……エントリー」


一方の通行人――千嘉良はといえば、冷静そのものだった。

(やばいな……咄嗟に、あんなジョン・ジョーンズばりの回転肘を繰り出すだなんて……)
(これじゃあ、まるで人間凶器だ)

(とにかく、いまは現場から離れるのが先だ)
(正当防衛とはいえ、警察に事情を訊かれるだけでも厄介すぎる)

(出来るだけ早く電車に乗って、秋葉原を離れよう)
(あそこに見えるのは……あれ?)

(駅とは、反対の方向に走っている?)
(ええと、駅から反対なら……あれ?)
(あれ?あれ?)

この通り、冷静にパニックに陥っていた。
だから当然、見えてるはずなんて無かった。

路上で横たわってる茜の姿になんて、気付いてるはずがなかった。

あと5歩で、千嘉良は茜のいる場所を通り過ぎる。

あと4歩。
路上で横たわってる人影に、ようやく千嘉良は気付いた。

あと3歩
しかし、それを奇妙とも、止まらなければとも思わない――思考するだけの余裕が無かった。

あと2歩
千嘉良の背筋に、寒気が走った。

あと1歩
モワっとした予感――なにか、ひどい間違いを犯してしまいそうな。

そして――『X

(X!?)

千嘉良の目の前に、巨大な『X』が現れていた。
同時に『止まって』と、文字が。

その瞬間――

単純に、動物的に、千嘉良の脳味噌から、混乱した思考が一掃されていた。
一言で言うなら、目が覚めた。

まず、千嘉良がしたのは――声にも出来ないほどの驚きを、心の中で絶叫することだった。

(おおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!)

突然クリアーになった視界の真ん中で、少女が倒れていた。
そしてその手前には、自分の履いた、編み上げのショートブーツ。

ここままでは、固い靴底が少女の後頭部か、良くても少女の横顔を擦って着地することになるだろう。

「んんんんぐっ!」

今度は声に出して唸って、千嘉良は、無理やりブーツの軌道を変えた。
うまくいった――少女の頭部すれすれを、尖った爪先が通過する。

「いぎゃぁっ!」

同時に反対側の足のバネで、ジャンプした。
しかし既に足は伸びきっていて、それだけでは力が足りない。

「うんがっ!」

だから足りない分を補うため、千嘉良は、同じ側の手を、強く、早く、前方に突き出していた。
跳んだ――その時の千嘉良の動き、その姿を、格闘技の知識がある者が見たなら、こう呟いていたことだろう。

スーパーマンパンチ

キックボクシングや、総合格闘技で使われるフェイント技だ。
キックを出すふりをしてパンチで一気に飛び込む姿が、飛行するスーパーマンに似ていることから、そう呼ばれている。

(ふぉおっ! や……った?)

結果として、千嘉良は1グラムの衝撃も与えること無く、茜の上を通過することに成功していた。
しかし、強引なスーパーマンパンチのせいでバランスを崩し、足首を捻ったりこそしなかったものの……

ズザザザッ

無様に、SUBWAY前の植え込みへと、突っ込むこととなった。

「いててて……ごめんなさい」

植え込みの木に謝りながら、千嘉良は立ち上がった。
見ると、少女も身体を起こそうとしている。

(うわっ! すっげー可愛い!!!)

突然目の前に現われた『X』や『止まって』のことは、とりあえず忘れて、
まずは少女――茜のあまりの可愛さに驚愕する千嘉良だった。


身体を起こして、茜は確信した。
こっちを向いて、立ってるあの人。

(あの人で……間違いない)

思い出す――山形が、さっき電話で言ってた、特徴。
山形が、秋葉原駅のホームでぶつかって、メガネを取り違えた相手の特徴。

身長175センチくらいで、年齢は20代なかば。コートを着た、メガネの、背が高い、男前な――

まさに、そのものだった。
目の前のあの人は、山形が言った特徴に、まったく一致していたのだった。

そして何より、あの人が着けてるメガネ。
あれは、山形のメガネだ。

自分を踏みつぶす直前でジャンプしたあの人は、おそらく、あれを見ている。
あれ――巨大な『X』と『止まって』の文字を。

どうしようかと、どんな風に話しかけようかと思ってたら、向こうから声をかけてきた。
はっきり、お人好しとわかる声だった。

「君――大丈夫?」

声を聞き、表情を見て、はっとして、それから内心で、茜はほくそ笑んだ。
自分の目的を、思い出したのだった。
 
(これは……この人は……いけるんじゃないかな~?)
 
そもそも茜は、この人――千嘉良を利用するために、マンションから出てきたのだった。

何がきっかけだったのだろう?
本当に、何がいけなかったのだろう?
もしかして自分に落ち度があったのではないだろうかとさえ、千嘉良は感じ始めていた。

千嘉良に訪れた、災難。

その男が千嘉良の側にやってきたのは、5分ちょっと前。
ドンキホーテの前でたこ焼きを食べる人たちを眺めながら、千嘉良は考えていた。

(秋葉原って、どんな街なんだろう?)
(というより、自分にとって、どうして秋葉原は、こんなに解りづらいんだろう?)

(今日、歩いてみて思い出したけど、自分は秋葉原が苦手なんだった)
(地図と、歩いてみての体感が一致しない) 

(いつも、プレッシャーを感じてるみたいな)
(よそ者感とでもいうか……)

と、そんなことを考えていたら……
気付くと、すぐ脇から、声がしていた。

それは、長い長い独り言の、一節だったのかもしれない。

「ふざけんなって言うんだよ」

1秒ちょっとだけ聞いたその声だけで、身が縮こまっていた。
辛うじて目玉を動かし、千嘉良は、声の主を見た。

「ラーメン屋ばっかり出来やがってさ……他の街と同じモノなんて、アキバにはいらねえんだよ」

年齢は30代半ばといったところ。
外見を客観的に描写すれば、それがそのまま悪口になってしまいそうな容姿の男性だった。

「ラジオストアーの跡地にも、ラーメン屋が出来るんじゃねえのか?」

嘲笑う声に、耐え切れなくなって、千嘉良はその場を離れることにした。

「そんなもん、いらねえんだよ! ラジオストアー、返せよ!」

ガードレールから腰を上げ、歩き始めた。

「わかってんのか!? こら! おい!!!」

声も着いてきた。
どうして、こうなってしまったのだろう?

本当に、自分が何か、彼の気に触るようなことをしてしまったのではないだろうか?
そんな風にすら思えてくる。

ドンキホーテの裏に回る――一瞬、空を見た。
暗い群青色。
でも気分のフィルターを通すと、たちまち真っ暗になった。

「逃げんじゃねえよ!」

肩を掴まれた。
無理やり、振り向かされた、千嘉良は――その時だ。

千嘉良の耳に、もうひとつ、聞こえた声があった。
その声は、言っていた。

「やめろ!」


会社が借りた仕事場であり、半分は茜の住居でもあるマンション。
一階には、SUBWAYがある。

マンションを出た茜が目にしたのは、

(あー! なんだ!? あいつ!)

というような光景だった。
小汚い格好の中年男が、通行人に絡んでいる。
彼に絡まれているのは……

(身長175センチくらいで、コートを着た、メガネの――おい!)

茜はダッシュした。
そして、コケた。

「痛っ!」

徹夜続き&座りっぱなしで、いきなりダッシュなんかしたんだから、当然だった。
膝を擦りむいて、おまけにアスファルトに腰骨を打ち付けて――でも、

(立たなきゃ――あの人を、助けなきゃっ!)

しかし、立ち上がろうとしても身体が動かない。

(くそう……くそっ!)

痛みと悔しさで歪む視界。
その隅で、男が通行人の肩に手をかけている。
怒鳴り声がした。

「逃げんじゃねえよ!」

掴んだ肩を引いて、通行人を振り向かせようとしている。
茜は叫んだ。

「やめろ!」

声を出した途端、肋骨のあたりに痛みが走って、思わず目をつぶった。
涙が、頬を伝っていった――同時に、

ごつん、と音がした。
茜が、再び目を開けると――

男のこめかみを、肘が撃ちぬいていた。
振り向きざま、通行人が肘打ちを放ったのだ。

そして振り向いてから――ごちっ!
もう一度、今度は正面から男の鼻に、逆の肘が叩きつけられていた。

「……くっ…ぅくっ……ぅくっ…………」

しゃっくりみたいな息を吐きながら、男が両手を宙に彷徨わせた。
その髪を掴むと、通行人は、男の顔面に膝蹴りをぶつけた。

「くふんっ……」

遠目にも分かるほどあからまに、男の脚から力が抜け、膝立ちになる。
その顎をすくうように、アッパーカットが下から潜り込む。

「………………うふぅ」

そして…… 

もたれかかってきた男を、むしろ優しげに横たわらせると、
「ふん!ふん!ふんふんふんふんっ!」
通行人は、凄いスピードで走りだした。

そんな通行人の行動を、
(なるほどなあ。警察が来たら、過剰防衛で逮捕されちゃうもんね)
と、そう解釈して、茜は安堵&感心したのだが……

しかし、それも一瞬のことだった。

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