それは既に、美愛も気付いてることだった。

(この人は、私のことが、好きだ)

最初にそんなフレーズが頭に浮かんだのは、十一月の第一週。
その後、同じフレーズが何度も頭に浮かぶうち、

(この人は、私のことが、好きなのだ)

と、いつしか、五・七・五になっていた。

いま二人は、和泉橋を背に、歩道を神田方面に向かって歩いている。
歩道は車道の左側で、だから普通なら、車は後ろから二人を追い越していくはずなのだが、ここでは、前から向来ては通り過ぎて行く。近くに首都高への乗り入れ口があるからとかいった、そんな理由を聞いた覚えが美愛にはあって、確かそれは、樹が教えてくれたのだった。

ところで美愛には、予備校に来るたび思い浮かぶことがある。
それは、
(ここも秋葉原なの?)
という疑問だった。

美愛たちの通う予備校は、名前に『秋葉原』の三文字が付いている。
これに美愛は、以前から違和感を抱いていたのだった。

WEBサイトの紹介文によれば、予備校はJR秋葉原駅から歩いて四分。距離だけみれば確かに『秋葉原』だが、その間には昭和通りと神田川があって、電気街からは二重に隔てられている。予備校の窓から見える『秋葉原』的なものといったらヨドバシAKIBAくらいなもので、メイドやアイドル、あるいはアニメやゲームの看板とかいった、いわゆるアキバ文化の象徴として現在喧伝されてるような事物は、まるで見ることが出来ない。そして何より、予備校から一番近い駅は秋葉原でなく、新宿線の岩本町駅だった。

この疑問を、美愛は、樹にぶつけてみたことがある。
「ここらへんも、秋葉原なんだっけ?」
そんな『それとなく』を装った美愛のつぶやきに、樹はこんな答えを返して来た。

「『ぐるなび』なんかで秋葉原の店を検索すると、この辺りの店も出るよね。でも、どちらかというと、ここら辺を秋葉原って考えるのは、心理的に抵抗があるかも。秋葉原っていうより、神田の一部っていった方が近い感じかな」

と言われて、最後に出てきた『神田』というキーワードに、なるほど、と美愛は得心した。予備校の行き帰りに見える書泉ブックタワーにも美愛は違和感を感じていたのだが、ようやく理由がわかったような気がしていた。

それから樹は、秋葉原の電気街が出来たのは、元々は神田にあった電気部品を扱う店が移動してきたのが始まりなのだとかいった話をしてくれた。

それを聞きながら美愛は(菊田くん、オタクなのかしら?)と、思ったりもしたのだが、すぐに(秋葉原の歴史を知ってるのと、秋葉原を知ってる――オタクなのとは違うか)と考えなおす。

謙遜は、正しい自己評価の後に行うべきだというのが、美愛の持論だ。
だから美愛は、自分が美少女だと、はっきり遠慮無く自覚している。

しかし、そんな美少女の美愛には、彼氏がいない。
理由は、性格が悪いからだという人がいる。
そのことは、美愛も知っている。
その通りだとも、思っている。

好きだ、と言ってくれる相手が現れるたび、内心でうざい、キモいと罵りながら、波風を立てない程度に穏当で、しかし断固とした言葉と態度でお断りを入れている自分は、十分に性格が悪いと分かっている。

だけど樹に対しては(この人は、私のことが、好きなのだ)同じフレーズを、何度繰り返したところで、気持ちには、うざいともキモいとも浮かんでこない――その必要が、感じられない。

結論が出たのは、つい最近のことだ。
きっと(角度だ)と、美愛は思っている。
きっと樹は、うざいとかキモいとか思わなくてもすむ角度で、自分のことを好きになってくれたのだと。

岩本町駅の入口を過ぎたところで、思い出したように樹が訊いた。

「小津さん、今日は、遅くても大丈夫?」
「うん。友達と初詣って言ったらダメだったけど、彼氏とだって言ったら『いい』って」
「え……」
うろたえる樹を見ながら、美愛は付け加えた。
「お母さんに、嘘ついちゃった」

そして二人は、岩本町の交差点を渡る。

横断歩道の先のVELOCEに向かって小走りになりながら、
(私って、やっぱり性格悪い)
笑みを抑えられない顔を、美愛は、必死で樹からそむけていた。