マジックフィンガーズ(2)

2014年01月


これまで千嘉良が経験した恋は、すべて自然消滅で終わっていた。
だから、失恋に関わる葛藤は、いつも自分の中だけで完結していた。

つまりどういうことかといえば、いわゆる修羅場の経験がなかった。

しかし、そんな千嘉良にも分かるほど明らかに、それは、
(修羅場……)
だった。

「え?なんで?君は私と付き合ってるんだよね……どうして?おかしいよ。そんなの、おかしい。だって……どうしてそうなるの?私、そんなこと言ってないよね?言ってないよ!」

遠くに瞬くすき家の灯りを長めながら、千嘉良は、
(立ち止まると、息って白くなるんだなー)
なんて、思っていた。

何分か経ち――

電話を終えて、
「ふられ……ちゃいました」
そう言う茜の声は、決して震えたりはしていなかった。

しかし、
(すっげえ震えてる……)
エプロンドレスから覗くすらっとした足は、ガクガク震えまくっていた。
 
(とりあえず分かるのは、この人がもの凄い負けず嫌いだということだ)
感嘆と呆れを同時に抱きながら、千嘉良は提案した。

「ラーメン食べない?」


『ばんから』で話を聞くことになった。


千嘉良は、ラーメンは普通の盛りでしか食べない主義だ。

しかし、つけ麺、油そばと二郎は別だった。
メガつけ麺を前にして、
 
(まあ、これくらいは必要か)

そんな風に、自分を納得させていた。

(だって、いい感じの美形ちゃんと出会えたかと思ったら、その子には彼氏がいたとか、そんなの計量直前のGSPでもマシマシチョモランマ自棄食いするレベルですよ……)

一方の茜はといえば、魚介スープの支那そばを、するする口に運んでいる。
見る間に麺と具を食べ終え、スープも一気に飲み干した。

つるつるした中太麺をすすりながら、
「どういう事情?」
千嘉良が訊ねると、ぽつぽつ話し始めた。

「社長は、大学の計算機研究会のOBで、知り合ったのは学祭の打ち上げだったんですけど……その日から、付き合い始めたんです」
「じゃあ、元カレ?」
「はい。誘われて、彼の会社に入って……でも去年、ふられてしまって。そしたら、後輩の……いまの彼が優しくしてくれて、それで……」
「付き合い始めたんだ?」
「でも、実は社長が私の前に付き合ってたのも、彼で……」
「……彼の元カレも、社長だったってこと?」
「はい……」

俯く茜を見ながら、千嘉良は、
(ダメなんじゃないか?その会社)
と、ストレートな思いを、口から出しそうになっていた。
しかし堪えて、大量の麺と一緒に飲み込む。

ずずずずずっ

「でも彼……いま社長と一緒に、新潟にいるんだそうです」
「ふうん……」
「それで『どうして?』って訊いたら『そういうことだから』って……」
「あのさ」
「はい?」

いったん箸を置き、千嘉良は、
 「これで、テレビ電話ってできないかな?」
自分のスマホを、茜に差し出した。

「君のところの社長と、テレビ電話で話したいんだけど」


茜が千嘉良のスマホにSkypeをインストールするのとほぼ同タイムで、千嘉良も残りの麺を食べ終える。


茜の隣に移動してスマホを受け取ると、千嘉良は言った。

「まず言っておくと、君の『社長』が新潟に行ったのは、そこが彼の本当の出身地だから。高校卒業後に蒲田に住んでる親戚の養子になって、それからは東京出身を自称してるけど、デカイ面できるツレがいて、いい気分になれる本当の故郷は、新潟だから――で、これでいいの?」

茜に操作方法を訊きながら、Skypeで『社長』を呼び出す。
相手は、すぐに出た。

画面に映ったのは、端正な顔立ちの男性――見かけは20代後半――と、見るからに朴訥そうなメガネの青年。

「こんばんわ、貞夫さん」

千嘉良が語りかけると、画面の向こうでは――

『知り合いなんですかー?』
『俺の姪だ』
『あ! この人にぶつかったんですよー。えらく男前な美人だと思ったら、』
『ちょっと黙ってろ山形』

――そんなやりとり。

背景は、どこかの薄暗い部屋。
多分、ホテル。

「見えます? いま自分、貞夫さんのところの社員の方と一緒なんですよ」
『……そうみたいだな。どうして、』
「偶然ですよ。そちらの青年のおかげで起こった偶然」
『…………』 
「マジックフィンガーズ――デモ、拝見しました。素晴らしい製品ですね」
『ああ……ありがとう』
「伝わってるかとは思いますが、増資の件は保留にさせてもらいます。代わりに人を送るのは予定通りで」
『はい……わかりました』
「ところで貞夫さん。以前から訊こうと思ってたんですが、社名の『EOTE』って何の略なんですか?」
『Edge of the earth』
「本当は?」
『……Empire of the epicurian』
「”快楽主義者の帝国”ね――あんたアホですか。じゃ、よいお年を」

ぶちっ

「いろいろ言ってやろうかと思ってたけど、全然だね。はい、これ名刺」
「…………」

夢から醒めたような顔の茜に、千嘉良は笑いかけた。

「そういうことだから」


茜と千嘉良が出会ってから、2時間と30分


「分かってたんですか?」
ちょっと意外そうな顔をする茜に、

「うん。声を聞いて、なんとなく」

ポケットで、さっき貰った名刺を撫でながら、千嘉良は答えた。
茜が男性であることは、この名刺を貰った時から分かっていた。

(見かけだけじゃ、わからなかったけどね)

二人は、最初に会った場所と同じアキバ田代通り――UDX前に来ていた。

「そうだったんですか……気付いてないんだったら、言ったほうが良いのかな?とか思ってたんですよ――でも、聞いた通りでしたね」
「んん?」
「あなたと、駅でぶつかった後輩が言ってたんです。どんな人だった?って訊いたら『背が高くて、凄く男前の――女の人だった』って!」

「男前……」
その表現に、千嘉良は、ちょっと複雑な気持ちになる。

千嘉良は――
 
ラヲタであり、格闘技経験者であり、そして同時に、20代なかばの女子だった。


「あの……言っておいてなんだけど、さっき『男でしょ!?』って言っちゃったけど……失礼じゃなかった?」

「気にしないでください。私、こんな顔で、こんな格好で、こんな言葉遣いですけど、アティチュードにおいては男らしくあろうと思っていますし、それに、その……女性を愛せないというか、女性から愛されたいと思っていないといういうわけではないですから」
 
「え、あの……それって」
「女性が、恋愛対象だということです」
「へ、へぇ……そうなんだ」
「何か?」
「いえいえいえ!」

ついつい緩んでしまいそうになる口元を、
(チャ、チャ、チャンスあるかもよおおおおっ!)
千嘉良は、顔を鷲掴みにして押さえた。


「でも、聞いてなかったです! こんなにきれいな人だっただなんて!」
「!」

(きれいな……人!)

炸裂する歓喜を、千嘉良は、今度はピーカブースタイルで必死に堪えた。

(きれいな人!)
(きれいな人!)
(きれいな人って言われた!)
(おおぉおおおおおおうおう!)
(うほっ!うほっ!うほっ!うほっ!うほぉおおおっ!!!!!)

「でも――どうしてあいつ、言わなかったんだろう?」

(ん?)

「私がヤキモチ焼くと思ったのかな? 彼」

(彼?)

嫌な予感がした。
おそるおそる、想像上のグローブから顔をあげると――

「あいつったら、そんなの気にしなくていいのに……ふふっ」

――そこには、紛うことなき、恋する乙女がいた。

(そ)
(う)
(い)
(う)
(こ)
(と)
(か)
(よぉおおおおおお――っ!!!!!!!!)

「あ、電話――彼からだ」
「どうぞ……出てください」
「それではお言葉に甘えて、失礼します――はい、私です。どうしたの?」

(『女性恋愛対象』なんて言ってたくせに、付き合ってるのは男かよ!)

「うん。いま、デモのリハーサルして……うん。そろそろ終わり」

(『女性恋愛対象』じゃなくて『女性恋愛対象』なんじゃないか!)

「うんうんうん…………え?」

(え?)

 「どうして……社長が一緒なの?」

いきなり温度の下がった茜の声に、千嘉良の眉がビクリと震えた。

茜と千嘉良が出会ってから、1時間と50分


千嘉良は、ちょっと困った。

「秋葉原の……正体」

そんなにはっきり言い切られてしまったら、首肯するのも反論するのも、何だか違うような気がしてきてしまう。

例えるなら、医者を前にした患者みたいだった。
だから千嘉良も、病院に来た患者みたいに、ただ自分の病状を話すしかなかった。

「自分は……去年まで、格闘技をやってたんです。

それで、秋葉原の――さっきのセブンイレブンの近くにあった道場に、何度か出稽古に来たことがあって――東京生まれのくせに、秋葉原に来たのはそれが始めてで――

電気街口から中央通りに出た途端、びっくりしました。

圧倒されたっていうか。
通りの向こうのビルが、凄く大きく見えて……
すぐそこに、何百メートルも幅のある滝が現われたみたいだった。

もちろん、そんなのは最初の日だけでしたけど。

だけど、なんとなく中央通りは苦手で、その道場に行く時は、昭和通りを歩いて行ってたんです。
行きたいラーメン屋――「くろ喜」とか「粋な一生」も、そっち側だったし。

今日も電気街を歩いたけど――昼間に歩いた時ですよ?――やっぱり、他の街を歩くときよりも、緊張したっていうか――」

そんなことを話しながら、千嘉良は思っていた。

(いまも緊張してるけど――)
(昼間とは、全然、理由が違う) 

思って茜を見たら、手を引かれた。
茜が歩き出す。
千嘉良も、着いて行くしかなかった。

「3秒間、立ち止まります」
「え?」
「見てください」

二人は立ち止まった。
ベルサール前の横断歩道の、真ん中だった。
茜が指さしてるのは、リハーサルの出発点である末広町方面。
カウント。

「1」

千嘉良の視界の隅で、茜の手が、何かのサインを描く。
同時に、街中の光が消えた。

「2」

次の瞬間、秋葉原の建物群に異変が起こった。
いずれも白く輝いて、向こうが透けて見えるほど透明になっていた。

「3」

そして、秋葉原の道、道、道。
秋葉原に存在するあらゆる通りを、眩い光の矢が奔って行く。

「これが秋葉原を見る正しい角度です!分かりましたか?」
「はい!」

角度――茜の言ってる意味を、ようやく千嘉良は理解できた気がした。

初めて秋葉原に来た時、中央通りは、千嘉良の左から右に向かって伸びていた。
でも、今は違う。
千嘉良の後ろから、前に向かって伸びている。

つまり、角度が違った。
そしてそれだけで、秋葉原が、まるで別の街みたいに違って見えた。

「さあ、行きましょう!」

再び手を引かれ――引かれる一瞬前に、逆に茜の手を引っぱって、千嘉良は走りだしていた。
2回のストライドで、ソフマップの前に辿り着くまでの間で、千嘉良は、

(本当に、マジックフィンガー……魔法の指だ)

茜のことを、好きになってしまっていた。

「ちょ、ちょ! ちょっと待っ……」

転げそうになりながら横断歩道を渡ったばかりの茜に、言い放つ。

「こんなに小さかったんですね! 秋葉原って」
「ふぅ……そうでしょう?」

胸を押さえながらも、微笑する茜は満足気だった。

「これなら、自分の地元の方が、ずっと大きいですよ」
「地元って、どこなんですか?」
「蒲田です」
「ああ……私は草加です。それにしても、あんなにダッシュすることないじゃないですか。こっちはヒールのある靴なんですから……」

非難がましい目をする茜に、千嘉良は、にっと笑いかけた。
そして言った。

「男でしょ!? しっかりしなよ!」


茜と千嘉良が出会ってから、1時間と43分

このページのトップヘ