『今日はどうする?』

LINEの送信ボタンを押しかけて、菊田樹(きくたいつき)はやめた。
そして、走りだす。
 
小津美愛(おづみちか)が、いつものコンビニの前で待っていた。

「お待たせ」息を弾ませる樹に、
「待ってないし」言って美愛は「別に、待ち合わせしてたわけじゃないし」言い直して、背後のガラスを指す。

コンビニの、入口のドアだ。
こんな紙が貼ってあった。

お知らせ
12月30日21:00~翌朝6:00
12月31日21:00~翌朝6:00
1月1日21:00~翌朝6:00
1月2日21:00~翌朝6:00
1月3日21:00~翌朝6:00
誠に勝手ながら一時急転させていただきます。
お客様には、ご迷惑お掛け致しますが、何卒ご容赦お願い致します。

そういえば……目を凝らすまでもなく、樹も気付いた。
店内の、奥の方にしか電気が点いていない。
今日は、十二月三十一日。
そして、既に二十二時近くになっていた。

「とりあえず、いつものコースでいい?」
「うん」
「その前に、予備校に寄っていい?」
「うん」

もうひとつ、追加の質問をしようとして、樹は止めた。
さすがに、もうバレてるかも――いや、バレてるに違いない。

樹も美愛も高校二年生で、同じ予備校に通っている。
でも、高校は違う。
樹が地図で調べたら、それぞれの学校があるのは、東京の全く反対側だった。

二人がいまいるコンビニは、JR秋葉原駅の昭和通り口を出て三分。和泉橋を渡ってすぐの場所だ。予備校は、コンビニから歩いて三十秒。神田川沿いのビルで、一階のテナントにはスポーツショップが入っている。

「やっぱり、誰もいないね」

ビルの入口に立ち、樹は言った。「授業は昨日で終わりみたいだったし、今日は誰もいないんじゃないかな?」いつもはビルの前でぼんやり光ってる路上看板も、今日は電源コードを丸めて、ガラスの向こうのエントランスに収われている。代わりに今日は、門松がふたつ、入り口を挟んで置かれていた。

「ドアも開かないし」

美愛が、鼻のつきそうなくらい近くに立っても、入り口の自動ドアは開かなかった。
ぴょん、とその場で跳んだ。
青いコートの裾より、ベージュのマフラーより、背中まで伸ばした髪が大きく揺れた――すたん。高度二十センチから着地。
 それでも、当然、ドアは開かない。
樹も真似して跳んだが、結果は同じだった。

「小津さん。動画撮っていい?」樹がスマホを向けると、
「うん」美愛は、即答だった。

でも(ちょっと迷ってたな、あれは)と思いながら、カメラアプリを起動。画面の中央に美愛、両端に門松という配置になるように、車道に出そうなくらいまで退がった。明るさを美愛の顔に合わせて、撮影開始。

「小津さん、跳んで」
「うん」

ぴょん、すたん。

「もう一回、いいかな?」
「うん」

ぴょん、すたん。

「もう一回」
「うん」

三回目の録画ボタンを押しながら、
(これで最後かな)と樹は思った。
画面に映る美愛の口元に、不機嫌なニュアンスが浮かんでいたからだ。
何度も同じことをやらせたのが、悪かったのだろうか?
考えても、美愛が何に不満を抱いているのか、樹には分からない。

ぴょん、すたん。

着地して、次に訊いたのは、美愛の方だった。
眉をひそめ、何か考えこむような表情で唇を尖らせ、
「もう一回、いい?」
樹に、「うん」以外の答えはなかった。

「私、もっと出来る子だから」
ぴょん。

そして――手を広げたり、顔をのけぞらせたり、片足だけ曲げたり、両足曲げたり。ポーズを変えながら「もういいかな」と美愛が満足するまでに跳躍と着地は五回繰り返され、樹のスマホには、同じ数だけの動画ファイルが保存されることとなった。

時刻は、二十二時ちょうど。
二人は、歩き出す。

昭和通りに出るところで、樹は振り向いた。
予備校のビルは、暗かった。
いつも二人が勉強しているフロアはもちろん、エントランス以外、明かりがなかった。
でも――樹がイメージしたのは、犬だった。
目をつぶって、一見眠っているようで、でも誰かが近づくと、すぐ跳ね起きる犬。

「来年は、何日からだったっけ?」美愛が訊いた。
「受験生は、二日から。センター対策の講座」
「私達は?」
「来週の水曜日だから――七日」
「私達も、来年は、二日からかな?」

いまは明かりが消えてるあのビルが、本当に眠ってしまうことは、無いに違いない。
再び、歩き出す。

「君は、講座に出る? それとも家で勉強?」

問いに、樹は答えなかった。
美愛に見とれて、答えられなかったのだ。
いつ雪が降り出してもおかしくないくらい寒いのに、美愛の横顔を見ているだけで、胸の奥から、とろりと甘い何かが溢れ出してくるみたいだった。

樹は、美愛が好きだった。