これまで千嘉良が経験した恋は、すべて自然消滅で終わっていた。
だから、失恋に関わる葛藤は、いつも自分の中だけで完結していた。

つまりどういうことかといえば、いわゆる修羅場の経験がなかった。

しかし、そんな千嘉良にも分かるほど明らかに、それは、
(修羅場……)
だった。

「え?なんで?君は私と付き合ってるんだよね……どうして?おかしいよ。そんなの、おかしい。だって……どうしてそうなるの?私、そんなこと言ってないよね?言ってないよ!」

遠くに瞬くすき家の灯りを長めながら、千嘉良は、
(立ち止まると、息って白くなるんだなー)
なんて、思っていた。

何分か経ち――

電話を終えて、
「ふられ……ちゃいました」
そう言う茜の声は、決して震えたりはしていなかった。

しかし、
(すっげえ震えてる……)
エプロンドレスから覗くすらっとした足は、ガクガク震えまくっていた。
 
(とりあえず分かるのは、この人がもの凄い負けず嫌いだということだ)
感嘆と呆れを同時に抱きながら、千嘉良は提案した。

「ラーメン食べない?」


『ばんから』で話を聞くことになった。


千嘉良は、ラーメンは普通の盛りでしか食べない主義だ。

しかし、つけ麺、油そばと二郎は別だった。
メガつけ麺を前にして、
 
(まあ、これくらいは必要か)

そんな風に、自分を納得させていた。

(だって、いい感じの美形ちゃんと出会えたかと思ったら、その子には彼氏がいたとか、そんなの計量直前のGSPでもマシマシチョモランマ自棄食いするレベルですよ……)

一方の茜はといえば、魚介スープの支那そばを、するする口に運んでいる。
見る間に麺と具を食べ終え、スープも一気に飲み干した。

つるつるした中太麺をすすりながら、
「どういう事情?」
千嘉良が訊ねると、ぽつぽつ話し始めた。

「社長は、大学の計算機研究会のOBで、知り合ったのは学祭の打ち上げだったんですけど……その日から、付き合い始めたんです」
「じゃあ、元カレ?」
「はい。誘われて、彼の会社に入って……でも去年、ふられてしまって。そしたら、後輩の……いまの彼が優しくしてくれて、それで……」
「付き合い始めたんだ?」
「でも、実は社長が私の前に付き合ってたのも、彼で……」
「……彼の元カレも、社長だったってこと?」
「はい……」

俯く茜を見ながら、千嘉良は、
(ダメなんじゃないか?その会社)
と、ストレートな思いを、口から出しそうになっていた。
しかし堪えて、大量の麺と一緒に飲み込む。

ずずずずずっ

「でも彼……いま社長と一緒に、新潟にいるんだそうです」
「ふうん……」
「それで『どうして?』って訊いたら『そういうことだから』って……」
「あのさ」
「はい?」

いったん箸を置き、千嘉良は、
 「これで、テレビ電話ってできないかな?」
自分のスマホを、茜に差し出した。

「君のところの社長と、テレビ電話で話したいんだけど」


茜が千嘉良のスマホにSkypeをインストールするのとほぼ同タイムで、千嘉良も残りの麺を食べ終える。


茜の隣に移動してスマホを受け取ると、千嘉良は言った。

「まず言っておくと、君の『社長』が新潟に行ったのは、そこが彼の本当の出身地だから。高校卒業後に蒲田に住んでる親戚の養子になって、それからは東京出身を自称してるけど、デカイ面できるツレがいて、いい気分になれる本当の故郷は、新潟だから――で、これでいいの?」

茜に操作方法を訊きながら、Skypeで『社長』を呼び出す。
相手は、すぐに出た。

画面に映ったのは、端正な顔立ちの男性――見かけは20代後半――と、見るからに朴訥そうなメガネの青年。

「こんばんわ、貞夫さん」

千嘉良が語りかけると、画面の向こうでは――

『知り合いなんですかー?』
『俺の姪だ』
『あ! この人にぶつかったんですよー。えらく男前な美人だと思ったら、』
『ちょっと黙ってろ山形』

――そんなやりとり。

背景は、どこかの薄暗い部屋。
多分、ホテル。

「見えます? いま自分、貞夫さんのところの社員の方と一緒なんですよ」
『……そうみたいだな。どうして、』
「偶然ですよ。そちらの青年のおかげで起こった偶然」
『…………』 
「マジックフィンガーズ――デモ、拝見しました。素晴らしい製品ですね」
『ああ……ありがとう』
「伝わってるかとは思いますが、増資の件は保留にさせてもらいます。代わりに人を送るのは予定通りで」
『はい……わかりました』
「ところで貞夫さん。以前から訊こうと思ってたんですが、社名の『EOTE』って何の略なんですか?」
『Edge of the earth』
「本当は?」
『……Empire of the epicurian』
「”快楽主義者の帝国”ね――あんたアホですか。じゃ、よいお年を」

ぶちっ

「いろいろ言ってやろうかと思ってたけど、全然だね。はい、これ名刺」
「…………」

夢から醒めたような顔の茜に、千嘉良は笑いかけた。

「そういうことだから」


茜と千嘉良が出会ってから、2時間と30分