すぐに帰る気がしなくて、中央通りに出た。
九州電気の看板を見上げながら、千嘉良は、さっき見た光景を思い出している。

秋葉原の建物が、ひとつ残らず光り輝いていた。
街というよりも、光のお城みたいだった。

大きかった。
でもそれ以上に、小さかった。

上野に向かって伸びる中央通り――秋葉原を囲む景色のほうが、秋葉原よりも、ずっと大きかった。

(そういうことか……)

わかってしまえば、簡単だった。


千嘉良を芸能人にするのが、母の望みだった。
子供の頃から歌とダンスのスタジオに通わされて、レッスン漬けの毎日。

でもそれも、中学三年の冬までだった。
母親が取り寄せた宝塚音楽学校の入学願書を、祖父が見つけて猛反対して、それで終わり。

格闘技の道場に通い始めたのは、それまでレッスンに通っていた時間がぽっかり空いて、暇になってしまったからだ。

試合に出たりしないことを条件に、母は道場通いを許可した。

伊達メガネを着け始めたのも、その頃からだ。
母の勧めだった。
多分、芸能人っぽく見えるからだろうと、千嘉良は思っている。

ある時、師匠(女子格闘技界無敵のチャンピオン)に言われた。

『あのさ、千嘉良ちゃん――』


『あのさ、千嘉良ちゃん――格闘技の世界なんて、全然小さいんだよ?
こんな狭い世界に何もかもがあるわけじゃないんだから……
だから、ここで何もかもを手に入れようとして、頑張る必要はないんだよ?
ここに無いものは、こことは別の場所で手に入れればいいんだよ?』

その言葉を、千嘉良はこう解釈している。
要するに――

(気負うなってことか)

ちょっと気が楽になったら、胸が痛んだ。
千嘉良は、茜に嘘を吐いていた。


『問題になったのは製品じゃなかった』

さっき、千嘉良はそう言った――でも、嘘だった。

”パッとしないまま終わる、典型的な日本製ITプロダクト”

それが、千嘉良の父親が、叔父の会社の製品に対して下した評価だった。
当然、その中にはマジックフィンガーズも入っていたのだろう。

(遅くても……1月の半ばってところ?)

もう一回、自分はマジックフィンガーズのデモを見ることになるはずだ。
そして、父親の会社から送り込まれる形で貞夫の会社に入ることになる。

祖父が千嘉良に命じたのは、こんなミッションだった。

「千嘉良……おまえに貞夫の会社をあげるから、ほどほどに勉強したところで潰しておしまいなさい。その後は、自分の会社を作ればよろしい。貞夫の会社で使えるモノがあったら、そのまま引っ張っていきなさい……貞夫は、私のところで鍛え直します!」

あの時、祖父が苦々しげな表情をしていた理由を、今夜、ようやく千嘉良は理解できた。

(貞夫さんが、自分好みの男の子を集めて会社を作ったとは聞いてたけど――ここまでとは)


いま千嘉良は、横断歩道を渡ろうとしている。
正確には、そんな状態で、ずっと立ち止まっていた。

(自分が、茜君の会社を実質的に経営する立場になる)
それはつまり、
(マジックフィンガーズが、自分のモノになる)
ということだ。

そして、そんな形で乗り込んできた自分を、
(茜君は、どう思うだろう?)
良くは思われないに、違いなかった。

もしかしたら、自分がどういう役割の人間なのか、
(茜君も、既に知ってるかもね)
言い訳代わりの話題に叔父がそれを持ち出すことは、十分に考えられた。

だけど、わくわくする。
(マジックフィンガーズを、どう育てていく?)
どうやったら、父親の予想を上回る製品に出来る?

答えは――茜が、さっき言っていた。


『ネットの普及による変化が、それまでの変化と違うのは、物が無くても秋葉原に集まる層が現われた、ということなんだと思います。家電やパソコンみたいな、目当てになるモノが無いのに、秋葉原に来る人がいる。ただ秋葉原に来て、秋葉原を楽しんでいく――オタクでも、オタクでなくても』

『結論として、秋葉原は物よりも体験を売る街になった――って、すごく普通のことを言ってますね、私。でも、秋葉原に来ること自体を楽しく思わせる何か――それこそが、現在の秋葉原のチャンピオンなんだと思います』

『根底にあるのは、おそらく勃興したソーシャルネットワークとの親和性の高さで――』


千嘉良は思った。

(マジックフィンガーズという製品でなく、
マジックフィンガーズという体験。
それを、商品にすればいい。

たとえば、ロボット。
中央通りで、CGのロボットを使って対戦する。
ビルくらいの大きさのロボットだ。

中央通り沿いのビルに、二つ、部屋を借りよう。
ひとつは中央通りの駅側、もうひとつは反対側に。

お客さんは、窓から中央通りを見下ろしながら、巨大なロボットで対戦する。

ロボットが歩く度に道がへこむ。
ロボットが倒れこめば、ビルも壊れる。

秋葉原が、火の海になったりもするだろう。

ネットを使うのもいいな。
日本中、いや世界中のどこからでもいい。

マジックフィンガーを着けて、窓の前に立つだけでいい。
スイッチを入れれば、窓の外が、秋葉原に変わる――)

そんな空想をしている自分は、いま、
(秋葉原を、正しい角度で見ているのかもしれない)
と。

それが勘違いに過ぎないのかどうか、茜が側にいたら、訊くこともできたのだろうけど。

(はは……図々しい、っていうか未練がましい)

思いながら、指でメガネのフレームを擦った。
「ハロー」
言ったが、何も起こらない。

当然だった。

声がした。

「それじゃ、ダメです」


十数分前の、駅前の広場。

「これ、あなたのですよね?」

横からメガネを差し出した山形に、

「そうです――ありがとう」
 
礼を言ってメガネを受け取り、

「こちらは、もう少しお借りします」

それまでかけてたメガネ――マジックフィンガーズを、千嘉良はポケットに収った。


「そうだね」

千嘉良は、メガネを外した。
そしてポケットから出したマジックフィンガーズに、かけ変える。

伸びてきた白い手が、フレームを擦った。
桜色の唇が、魔法の言葉を紡いだ。

「ハロー」

次の瞬間。
千嘉良の目の前に現われたのは――白いセーターにスキニージーンズ。
メイド姿では、なかった。
だけど、やっぱり――魔法だ。

茜が、そこにいた。


「バッテリー切れですね……電源、入れっぱなしだったんじゃないですか?本当にギリギリ――なんとか、GPSだけは生きてますけど」

茜の見せるスマホの画面では、地図と点滅する光点が表示されている。
それが千嘉良の居場所を示しているのは、言われなくても分かった。

それよりもだ――千嘉良は焦った。

「頭にきますよね。私の元カレ、新潟にいるって言ってたくせに、実は池袋で遊んでたんですよ!?」
「あの……いいのかな?」一応、訊いてみた。
「良くはないでしょう」ぎゅっと腕に力を込めながら、茜が答えた。

千嘉良のコートに潜り込むように、茜は、千嘉良に抱きついている。

「恋人と別れたのと同じ日に、別の人とこんなことしてるのは、良くないと思います」
「別れたんだ……」
「元カレという表現で、遠回しに伝えたつもりですけど?」

言いながら唇を尖らせて――それから照れくさそうに、茜は続けた。

「思ったんです。彼氏がいるくせに他の人のことを好きになるのは、男としてどうかなって――それに、このまま山形くんと付き合い続けでも、同じことの繰り返しなんだなって」
「……」
「だったら素直になったほうがいいなって。だから、彼に言ったんです『好きな人が出来たから別れてほしい』って――ふふふ。こっちから、振ってやりました」
「……」
「もちろん、山形君と別れて、しばらくは誰も好きにならないという選択肢もあります。実際、そうするつもりでした」
「……」
「今日中に、またあなたと会えなかったら、そうするつもりでした」

目を伏せ、ほのかに頬を赤くする茜は儚げで、一方、茜の手の中のスマホでは、千嘉良の位置を示す光点が、異常なまでに力強く点滅していた。

(『会えなかったら』って――会えないかもだなんて、絶対、思ってなかったでしょ!?)
(なんなんだろう。茜君の、この逞しさって)
(やっぱり、男の人なんだな……)

半ば呆れつつドキドキする千嘉良を、茜が見上げて言った。

「でも、また会えました。彼とも別れました。
だから――だから、あなたを好きになってもいいですか!?」

耐え切れずわなないて、千嘉良は叫んだ。

「3秒!立ち止まります!!!」

信号が、青に変わった。
茜の肩を抱いて、千嘉良は歩き出した――横断歩道の真ん中へ。

茜と千嘉良が出会ってから、4時間と20分。

2人が恋人同士になるには、それから2秒で充分だった。

<完>