マジックフィンガーズ(2)

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「君の会社の社長――貞夫さんは、自分の父親の弟なんだ。
18歳の時、新潟の実家に絶縁されて、遠縁にあたる自分の祖父の養子になった。

自分の父親は、民夫っていうんだけど……

祖父は、実の息子――民夫に自分の会社を譲って、貞夫さんは自分の知り合いの会社に就職させた。

でも貞夫さんは、しばらくしたら独立したいって言い出して……それでお祖父ちゃんは、父さんの会社に出資させて貞夫さんに会社を持たせたんだ。

だから、今回は追加の出資になるはずだったんだけど――保留になった。
最初の出資の時とは、事情が変わってしまっていたから。

父さんの会社が上場することになって、いままでの様に社長の独断でお金を動かすのが、難しくなってしまったんだ。

だから保留というのは、通常の手続きで出資を検討した結果で――」

「わかります。実質的には、却下ということですよね」

「言っておくけど、問題になったのは製品じゃなかった。貞夫さんの、経営者としての資質だったんだ」

『ばんから』を出て、そんなことを話しながら歩いてたら、再び蔵前橋通りに出た。
またセブンイレブンでカップのコーヒーを買って、今度も店頭のゴミ箱横に潜り込んだ。

「貞夫さんってさ、お金を引っ張ってくるのは上手なんだ。だから、父さんの会社以外にも、スポンサーがいないわけではなかったんだけど……でもね、それ以降がダメなんだ。

集めたお金で事業を回していくセンスが決定的に不足しているっていうのが、父さんの会社が出した結論。こんな会社に出資したら、株主の突き上げを食らってしまうってね。

それでも貞夫さんは、いま手がけてる製品のデモだけでも見てくれって……仕方なく父さんは、お祖父ちゃんのところで勉強させてた娘――自分に相手をさせることにした。

もう分かってると思うけど、年明けに君がデモする予定だった相手は、自分だったんだ。

デモは見せてもらったから、後は自分が上の人間に報告して、それで終わり。
率直に言って、今回の件に関して、君や貞夫さんができることは、もう無い」

「…………」

「あのさ、貞夫さんってロクでも無いヤツだけど……逆に、だから、みんな好きになるんだと思うんだ」

「はい」

「君や君の彼氏が貞夫さんを好きになったのも、仕方ないと思う。別れた後も振り回されてしまうのも……少なくとも、君が悪いんじゃない」
「でも……そういう人を好きになって、それでどうするかは、自分の責任ですよね」
「そうだね」 
「ふふ……そうですよね」

茜が微笑った。
これからどうする?
とは、千嘉良は訊けなかった。
首をコキコキやったら、コンビニの時計が見えた。

(あと10分で……年が変わる)

最初は、ナンパかと思った。
「スッマセ、スッマセ……」
すいません、と言ってるらしかった。

よく見たら、中には女性もいる。
白人の男女――人数は5人。
(観光客?)
目があった途端、タブレットを差し出してきた。
表示されてる、字を見たらわかった。

「ロシア人だ。この人たち」

道案内を求めているらしい。
タブレットの画面は、ルート選択済のグーグルマップ。

「神田明神に行きたいみたいですね。でもこれ、清水坂下から回りこむルートだ……妻恋坂から明神下に下っていったほうが行列の最後に付くのが楽だけど、外国の人に説明できるだろうか、うーん……」

思案する茜の横顔に、千嘉良は思いつく。
考える前に、言ってた。

「初詣、行こうか?」

というわけで、千嘉良と茜にロシア人5人を加えた一行は、神田明神を目指して、蔵前橋通りをぞろぞろ歩き出したのだった。


茜と千嘉良が出会ってから、2時間と55分


(怖っ……)

歩き出した途端、不安が沸き上がってきた。
男が起き上がって追いかけては来はしないか――千嘉良は、気が気でなくなっていた。

(さっきまでは、興奮してて気が付かなかったけど……)

そんなのあり得ないことだとしても、仮に男が再び襲ってきても、また殴り倒せば良いだけの話なのだとしても――少なくとも千嘉良の中では、それとこれとでは、心の全く別の場所にある問題なのだった。

(自分に悪意を持った相手がそこにいて――)
(その相手に、背中を向けて歩く――)
(――なんて、心細いんだろう)

早足でアキバ田代通りを出て、カレーの市民アルバの前を過ぎた。
その辺りでだった。
浅く息を吐き、茜が言った。

「走りましょう」

気が気でないのは、千嘉良だけではなかったのかもしれない。
小走りで蔵前橋通りに出て、セブン-イレブンでカップのコーヒーを買った。

店頭のゴミ箱の脇で手を暖めてたら、ようやく話をする余裕が出てきた。
通りの向こうの、東京チカラめしを眺めながら話した。

「あの店、開店するとき、予告から何ヶ月も遅れたんですよ?」

そんなところから始まり、すぐに、さっきの男の話になった。

「ナンパかもしれませんね」
「え?」

「まあ、冗談なら趣味悪いですけど。でも……他人への好意っていうか、仲良くしたいなって思う気持ちを、ああいった形でしか表せないっていうか……人間って、本当にネガティブな動機で行動することって、そんなにないんじゃないかなって思うんです。ただ、それを表に出す方法が愚かしくなったりすることがあるだけで……」

「…………」
「ごめんなさい。私、語っちゃってますね」
「いいです! いいです。いいです……ちょっと、安心しました」
「安心?」

「自分……秋葉原へは、ラーメンを食べに来たんですよ。それで、あの男の人……どうしてラーメン屋ばかり出来るんだって怒ってたから。自分は、この街には――この街を好きな人には、ラーメン目当ての自分みたいなのが来るのは、迷惑なのかなって思ったから――ああ、すみません。自分も、語っちゃいました」

千嘉良が笑うと、茜も笑っていた。
茜が言った。

「なんだ、そんなことだったんですか」
「そんなことって……ひどいなあ」

「違いますよ。そんなことっていうのは、あの男が、そんなことで怒ってたのかってことです」
「でも、それって……自分が好きな街が変わったら、誰でも寂しいしと思うだろうし」

「それはそうですけどね――でも、あの人って大人じゃないですか。
自分の好きな街が変わってしまって、切ない想いをする……そういう感情は、普通にあるものなんだと思います。でも……大人じゃないですか。子供なら、そういう気持ちを口に出してもいいと思うけど……」

通りを、車が何台も通り過ぎて行く。
セブン-イレブンの時計は、10時を回っていた。
(大晦日の夜10時――)
千嘉良は、自分でもよくわからない気持ちになってた。

「街を作ってるのって、大人じゃないですか。だから、街が変わるのが嫌だからって、それに文句を付けるのは――怒りを他人にぶつけるのは、違うと思うんです。それを防げなかった……どうにも出来なかった、自分から目を逸しちゃいけないと思うんです」

茜の横顔を見ながら、
(語りたがりなんだな……)
と、千嘉良は思う。

人によってはウザく感じるかもしれない熱さで自分の考えを述べる茜は、だけど、千嘉良にとって決して不快ではなくて、むしろ――

(……頼もしいな)

――そんなことを考えて、ぼおっとしてるところで訊かれた。

「そのメガネ、度が入ってませんよね?」

茜と千嘉良が出会って、そろそろ30分が経とうとしていた。 

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