何がきっかけだったのだろう?
本当に、何がいけなかったのだろう?
もしかして自分に落ち度があったのではないだろうかとさえ、千嘉良は感じ始めていた。

千嘉良に訪れた、災難。

その男が千嘉良の側にやってきたのは、5分ちょっと前。
ドンキホーテの前でたこ焼きを食べる人たちを眺めながら、千嘉良は考えていた。

(秋葉原って、どんな街なんだろう?)
(というより、自分にとって、どうして秋葉原は、こんなに解りづらいんだろう?)

(今日、歩いてみて思い出したけど、自分は秋葉原が苦手なんだった)
(地図と、歩いてみての体感が一致しない) 

(いつも、プレッシャーを感じてるみたいな)
(よそ者感とでもいうか……)

と、そんなことを考えていたら……
気付くと、すぐ脇から、声がしていた。

それは、長い長い独り言の、一節だったのかもしれない。

「ふざけんなって言うんだよ」

1秒ちょっとだけ聞いたその声だけで、身が縮こまっていた。
辛うじて目玉を動かし、千嘉良は、声の主を見た。

「ラーメン屋ばっかり出来やがってさ……他の街と同じモノなんて、アキバにはいらねえんだよ」

年齢は30代半ばといったところ。
外見を客観的に描写すれば、それがそのまま悪口になってしまいそうな容姿の男性だった。

「ラジオストアーの跡地にも、ラーメン屋が出来るんじゃねえのか?」

嘲笑う声に、耐え切れなくなって、千嘉良はその場を離れることにした。

「そんなもん、いらねえんだよ! ラジオストアー、返せよ!」

ガードレールから腰を上げ、歩き始めた。

「わかってんのか!? こら! おい!!!」

声も着いてきた。
どうして、こうなってしまったのだろう?

本当に、自分が何か、彼の気に触るようなことをしてしまったのではないだろうか?
そんな風にすら思えてくる。

ドンキホーテの裏に回る――一瞬、空を見た。
暗い群青色。
でも気分のフィルターを通すと、たちまち真っ暗になった。

「逃げんじゃねえよ!」

肩を掴まれた。
無理やり、振り向かされた、千嘉良は――その時だ。

千嘉良の耳に、もうひとつ、聞こえた声があった。
その声は、言っていた。

「やめろ!」


会社が借りた仕事場であり、半分は茜の住居でもあるマンション。
一階には、SUBWAYがある。

マンションを出た茜が目にしたのは、

(あー! なんだ!? あいつ!)

というような光景だった。
小汚い格好の中年男が、通行人に絡んでいる。
彼に絡まれているのは……

(身長175センチくらいで、コートを着た、メガネの――おい!)

茜はダッシュした。
そして、コケた。

「痛っ!」

徹夜続き&座りっぱなしで、いきなりダッシュなんかしたんだから、当然だった。
膝を擦りむいて、おまけにアスファルトに腰骨を打ち付けて――でも、

(立たなきゃ――あの人を、助けなきゃっ!)

しかし、立ち上がろうとしても身体が動かない。

(くそう……くそっ!)

痛みと悔しさで歪む視界。
その隅で、男が通行人の肩に手をかけている。
怒鳴り声がした。

「逃げんじゃねえよ!」

掴んだ肩を引いて、通行人を振り向かせようとしている。
茜は叫んだ。

「やめろ!」

声を出した途端、肋骨のあたりに痛みが走って、思わず目をつぶった。
涙が、頬を伝っていった――同時に、

ごつん、と音がした。
茜が、再び目を開けると――

男のこめかみを、肘が撃ちぬいていた。
振り向きざま、通行人が肘打ちを放ったのだ。

そして振り向いてから――ごちっ!
もう一度、今度は正面から男の鼻に、逆の肘が叩きつけられていた。

「……くっ…ぅくっ……ぅくっ…………」

しゃっくりみたいな息を吐きながら、男が両手を宙に彷徨わせた。
その髪を掴むと、通行人は、男の顔面に膝蹴りをぶつけた。

「くふんっ……」

遠目にも分かるほどあからまに、男の脚から力が抜け、膝立ちになる。
その顎をすくうように、アッパーカットが下から潜り込む。

「………………うふぅ」

そして…… 

もたれかかってきた男を、むしろ優しげに横たわらせると、
「ふん!ふん!ふんふんふんふんっ!」
通行人は、凄いスピードで走りだした。

そんな通行人の行動を、
(なるほどなあ。警察が来たら、過剰防衛で逮捕されちゃうもんね)
と、そう解釈して、茜は安堵&感心したのだが……

しかし、それも一瞬のことだった。